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漫画家 ヤン・クラウス

アピンハダム市博物館でサイン会
 
 ラボバンク・ミュージアムデーに際し、有名な漫画家 Jan Kruis(ヤン・クラウス)がアピンハダム博物館に来て、彼の最新作、2冊目で最後の『Woutertje Pieterse(ヴァウターチェ・ピーターセ)』のサイン会を行います。それは、『マックス・ハーフェラール』で大評判になったムルタトゥーリ(エドゥアルト・ダウエス・デッケルのペンネーム:1820-1887)により1世紀以上前に書かれた、アムステルダムの小さな悪戯小僧たちの有名な物語です。当時のオランダ領東インドの腐敗した統治システムに対する非難、それは重要なオランダ文学作品の一つと見なされています。
 
<写真右>ヤン・クラウスSake Elsinga 撮影©
 
 『Woutertje Pieterse』は1887年、ちょうど彼の死後すぐに出版され、当時19世紀市民社会を構成していたさまざまな階層の印象的な姿を、読者に提供しました。ムルタトゥーリのその代表作を、ヤン・クラウスがとても注意深く漫画の形にしました。
 アピンハダム市博物館は、特にそのユーモアに満ちた作品『Jan, Jans en de kinderen(ヤン、ヤンスと子ども達)』で知られるこの漫画家を、サイン会のため10月30日にアピンハダムに迎えることを、とても喜んでいます。それはさらに、今開催中の『1900年頃の様式と味わい』展の雰囲気に、とてもよく合うからです。ヴァイク通りに面したその博物館はこの日、午前10時から午後5時まで開館しています。
 
  <写真右>
   仕事中の漫画家ヤン・クラウス
    Hans Huisjes 撮影 ©
 
 
 
 
 
 
 
 
 >>『1900年頃の様式と味わい』展
 
 
 
 


『1900年頃の様式と味わい』展
 
 
 
 
サイン会は大成功

アピンハダム市博物館
 
 アピンハダム市の中心にあるその博物館で、10月30日土曜日は大変賑わった一日でした。午後遅くそこに着いた時も、まだ人々がそれぞれの部屋をゆっくりと鑑賞しています。まず目を惹いたのは『1900年頃の様式と味わい』展への若い人の関心です。
 
 子供たちも保護者同伴でやって来ています。それはこの日、博物館にサイン会のためにやって来ていた漫画家ヤン・クラウスに、とても似合ったものです。
 クラウスは漫画『ヤン、ヤンスと子ども達』で、もう幾世代もの人たちの心を捉えています。子供たちが読み終わった後、お父さんがそれを取って楽しんでいました。四半世紀以前のことです!その漫画は今なお、とても人気があります。既に40年間、『Libelle(リベレ:「とんぼ」の意)』(女性週刊誌)が『ヤン、ヤンスと子ども達』を連載していることからも、それが分かります。週刊誌の依頼に、ヤン・クラウスは何十年もずっと自分で全てを書き、描いていました。しかし1999年に、全ての権利をその雑誌に売り、それは終わりました。
 その人気シリーズの制作は、リベレの漫画家集団「スタジオ・ヤン・クラウス」の手で行われるようになりました。この中には、大部分の絵を描いているヘルベン・ファルケマや、テキスト作家のヘルマン・ローゼマの有名な名前が見られます。クラウスはその後、全くのボランティアで、レプラ協会のために2冊の本を制作しますが、もう注文仕事はしませんでした。
 
 ヤン・クラウスが漫画家として如何に才能に恵まれているかは、フローニンゲンの漫画博物館での『ヤン・クラウスの劇場』展を訪問すると、はっきり分かります。2010年2月26日のオープニングで、当時の文化大臣ロナルド・プラステルク氏から最初のマルテン・トーンデル賞を授与されたことは、とても相応しいことでした。彼の全仕事への栄誉として!
 この展覧会では、彼のより芸術的な特質を表す作品も展示されています。オランダの有名人の肖像画と並び、『Woutertje Pieterse(ヴァウターチェ・ピーターセ)』からの素晴らしいイラストも目を楽しませてくれます。
 
 ムルタトゥーリ作の『Woutertje Pieterse』は、ヤン・クラウスのおかげで大好評の再出版になりました。その物語を生き返らせるために使われた多くの資料と様々なテクニックで、その本は『映像のマルチメディアショー』として新聞で紹介されました。彼自身、「登場人物たちに演じさせました」と話します。漫画博物館での展覧会のタイトル『ヤン・クラウスの劇場』も、そこからのものです。
 レイアウトに関しては、ふきだしを使った‘漫画化’がなされていますが、これらは地の文章の横に配置され、原本のテキストの内容は全く変えられていません。クラウスは又、自身で終章 『Woutertje Pieterse Ⅲ』 を付け加えています。その本のカバーに書かれているように、その編集は、その形式とその物語の章分けのみに関わっています。
 
ヤン・クラウスさんと一緒に
 
 博物館で、彼はムルタトゥーリの『Woutertje Pieterse』の2分冊と彼自身の伝記、それにリベレの記念出版『ヤン・ヤンスと子ども達40年』にもサインしました。このリベレの出版物は、彼が運んできていたものではなく、近くの書店にとって大喜びの一日となったものです。その本は、午後には全て売り切れました!
 クラウスさん自身も‘ダーム(アピンハダムのこと)’のこの日に満足しています。とても素敵で快い雰囲気だけでなく、彼は特に訪問客たちとの親しいコンタクトを楽しみました。この日彼には、漫画博物館での編集作業を通じフランス・ラ・ルーが企画デザインした『ヤン・クラウスの劇場』展の構成に関わった、同僚のハンス・ハウシェスさんが同伴していました。
 
 終わりにアピンハダム市博物館に戻って、シンシア・ハイネン館長がその日についてどのように思っているのか、とても興味があります。
 彼女はその日168名の訪問客を得たことに、とても満足しています。
ハイネンさんは話します。「訪問客たちの反応に特に驚かされました。ただ博物館を訪れた人たちは、ヤン・クラウスが来ていることに驚きました。彼のためにここに来た人たちは、博物館に驚きました。要するに、大成功の日でした!」
 
 
『ヤン・クラウスの劇場』展は、漫画博物館で2011年1月30日まで開催されています。
 
 
>>フローニンゲン漫画博物館(オランダ語)
 
>>アピンハダム市博物館 (オランダ語)
 
>>Jan Kruis(ヤン・クラウス) (オランダ語)
 
 
 



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