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キューバ!

1868年から今日までの芸術と歴史
 
人の目がかつて眺めた最も美しい島
クリストファー・コロンブス
 
 この日私たちは朝早く出かけ、開館時間の10時より前にフローニンゲン美術館の入り口に着いていました。すぐに、同じように早くから来ている何人かと話したりして、ドアの開くのを待ちました。その人たちも、その日その気持ちの良い時間に、このキューバ芸術の最初の大概観展を見るためにやって来ていました。フローニンゲン美術館が親しい関係を長い間保ってきている美術館の一つ、モントリオール美術館(The Montreal Museum of Fine Arts)のナタリー・ボンディル館長の企画による展覧会です。
 このとても大きな展覧会を実現するために、ハバナの国立美術館(Museo Nacional de Bellas Artes)やキューバのフォトテカ(Fototeca)とも密接な協力が行われました。
 それと並んで、公共又個人のコレクションからも展示させてもらっています。その多くがアメリカ合衆国からのものです。
 
 アメリカでの仕事の後、再びフローニンゲン美術館館長に戻ったケース・ファン・ツィスト氏は、フローニンゲン市でモントリオール美術館のこの展覧会の開催を決めたことについて、その序文に次のように書いています。
 「キューバ芸術の歴史に、キューバやキューバと西洋の関係の歴史が転機に立っている現時点で、光が当てられます。フローニンゲン美術館が、ちょうど今キューバに関する展覧会を開催することは、最も時宜にかなったことです。」
 


Cuba Colectiva
 
 数分後、その日最初の観客として館内に入り、集められた展示作品の壮大さに感銘を受けます。例えば、第23回「サロン・ド・メ(Salon de Mai)」の壁画『Cuba Colectiva(キューバ社会主義を称える6枚組みの壁画作品)』。ウィフレド・ラムが企画し、様々な国々の100名の画家によって制作された、55平方メートル大の絵画芸術。ポップ・アート時代の重要な作品、60年代に共同制作された大きな作品の一つです。
 あるいは、この本当に素晴らしい展覧会の多くの頂点の一つ、『宝箱』1999年にグル
ープ・ロス・カルピンテロスによって制作された彫刻で、手榴弾の形をした大きな箪笥。
 


REVOLUCION のポスター(上)
と『宝箱』(右端)
 
 革命(Revolucion)のポスターを見た後、その彫刻の傍に立った私たちは、その島の歴史やスペインやアフリカにルートを持つ原住民のことを考えざるを得ません。多くの人たちがラテンアメリカの国々に抱いているイメージに、ある意味で合っている歴史。しかし、いつも次の蜂起を考えている気短な人々というようなイメージは、全くの見当違いです。
 彼らは不当にもオペレッタの登場人物たちとして描かれました。彼らが大げさな振る舞いを特に好むことを示しているだけ、という間違った考えによって。勲章をいっぱいぶら下げた制服、大得意の演説、そして ... 少し愚か。様々な映画の中でも使われたイメージです。又いつも、男たちの傍に気性の激しい女たち。そして、音楽と興奮的なダンスで彩られます。
 キューバの歴史についてもっと知ろうとすれば、それが真実でないことが明らかになります。その植民地化、自由への希求、自国のアイデンティティーを求めることの重要さ、その結果としての独立戦争。そして又、シガーをくわえた髭もじゃの、同じ制服を着た男たちが始めた1956年の革命。政治的ユートピアと対立するイデオロギー。東西対立と南北対立 ... などについて。
 
  左
  右

: 1956年の革命期に撮られた写真
: 『資本主義』1934‐1935年頃 マルセロ・ポゴロッチ(1902-1988)
  ハバナの国立美術館
『グループ』(1937年頃)と ...『労働者と農夫』(1933頃)
マルセロ・ポゴロッチの作品-ハバナの国立美術館
 
 その時の革命で、支配的であった厳格な規則がなくなり、芸術は俄かに自由を手にしました。これにすぐ書き加えておかなければならないのですが、キューバ芸術の独自性は既にずっと以前、30年代や40年代に現れており「Cubanidad(キューバらしさ)」という名前で知られています。
 フローニンゲン美術館のマガジン01号には次のように書かれています。「その芸術は、島の立地条件によって、ヨーロッパやカリブ地方、北米の影響を受け、異なった文化が多く流入したことから、とても豊かなものになっています。100年足らずの間に、キューバ様式は独自の表現を見い出し、ユニークなアイデンティティを獲得しました。」
 今日、美術館の中を歩き回って見た素晴らしい映像。コロニアル様式やアヴァンギャルドの作品、シュルレアリスム、社会派リアリスムや戦闘的モダニズムがミックスされた、アフロキューバニスムの作品を楽しみました。
 
 そうです、キューバには豊かな文化があります。文学や音楽も世界的に有名です。ホセ・マルティの愛国的な歌詞『グアンタナメラ - グアンタナモの娘』を知らない人がいるでしょうか?この歌は多くの歌手が歌っていますが、個人的には‘フォークの父’ピート・シーガーといつも結びついています。良く一緒に歌ったものです。
 最近同じグアンタナモが、とても異なったことでニュースに出てきます。すなわち、論争の的となっているテロ容疑者収容のためのアメリカの捕虜収容所がある場所として。ジョージ・ブッシュの下に設置され、今オバマ大統領によって閉鎖されようとしる収容所です。オバマ大統領の下で、キューバと合衆国の間の境界が更に開かれることが期待されています。
 世界的に有名になった『ハバネラ』も、La Habana(ラ・アバナ)、首都ハバナにちなんで名付けられました。例えばアルゼンチンのタンゴは、その音楽スタイルやダンスに基づいています。1863年に作られた『El Arreglito(エル・アレグリード)』は、ジョルジュ・ビゼーによってオペラ『カルメン』に使われ、『L’amour est un oiseau rebelled(恋は野の鳥)』という題名を与えられました。
 クラシックがそれほど好きでない人にも、1860年ごろ作曲された『ラ・パロマ』によって、ハバネラの歌は世に知られるようになりました。‘キング’エルヴィス・プレスリーやフレディ・クイン、ミレイユ・マチューやその他多くの歌手によって歌われています。
 両方のハバネラは、スペイン人セバスティアン・イラディエル(1809-1865)の手になるものです。
 
 フローニンゲン美術館はこのことも考えに入れ、ダンスや音楽など展示以外の様々な催しも企画しました。
 
 
 先に述べたフォトテカとの協力によって、多くの写真を使って構成した展示に成功しています。
 キューバ以外ではほとんど知られていないけれど実に優れた写真家たち、例えばブレズやアリアスのような真の巨匠、サラスやコラレス、コルダのような人たちは、キューバ様式の写真家です。彼らが革命を撮影したものは、全世界で出版されています!
 革命政府の公式機関『レボルシオン』紙のフォトジャーナリストとして、アルベルト・コルダが1960年に撮影した『英雄的ゲリラ』は、全歴史を一枚の写真の中に捉えます。‘El Commandante(エル・コマンダンテ)’エルネスト・チェ・ゲバラの写真。1960年3月5日、フィデル・カストロの演説の間に撮られたものです。
 1967年、チェがボリビアで亡くなった後、この写真はポップ・アートとして複製され、それらはヒッピーの時代に多くのティーンエージャーの部屋を飾りました。今もなお、その写真がデモの中で掲げられているのが見られます。
 それは疑いなく、あらゆる時代で最も多く複製された写真で、キューバ以外でも60年代やその後の全世代の歴史や考えに決定的な影響を与えました。
 どのような影響なのでしょうか?簡単には答えられない問いです。実際、私たちはその写真の前に、少し長く立ち止りました。その時代に戻りたいという願望でしょうか、それとも ...  
 
展覧会『キューバ!』 は
2009年9月20日まで
フローニンゲン美術館にて

 
 
この興味深い『キューバ!』の展覧会にあたり、同名のユニークな本が美術館で販売されています。[ナタリー・ボンディル編纂、モントリオール美術館・フローニンゲン美術館-NAI 出版]
 
 
 
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