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フローニンゲン美術館に装飾石板

「元の場所にまだもっと?」
 
 それは、フローニンゲン市のプレイディニウスシンゲルの元美術館で、2010年5月30日から9月5日までの展覧会『今、旧フローニンゲン美術館で!百年の収集(1894-1994) 』の期間中に、見ることが出来ます。フローニンゲンの陶芸家、アノ・スミス(1915-1990)によってデザイン・制作された、その特別な装飾石板「住宅プラン1950」は、何十年もの間、テ・アーペルのハーフェン通りとヤーコブ・ヴィルティング通りの角に取り付けられていました。
 その石板は、戦災の被害と人口増加によって住居がとても不足していた戦後の時代に、団結して住宅を獲得したことを象徴するものです。今、半世紀後、これらの住宅はもう現在の基準を満たさなくなったので、取り壊されました。
 フェーンダムの住宅法人アカンタス・グループは、取り外された装飾石板の歴史的な意味をよく理解し、それをフローニンゲン美術館に寄贈することを決めました。
 
 アカンタスの側でのこの心遣いのお陰で、その芸術作品は相応しい場所を得て、長い間当時の社会を証言することが出来るようになりました。
 
 フローニンゲンの陶芸家、アノ・スミスは、前世紀の50年、60年代にフローニンゲン州で多彩な建築用の陶芸を数多く制作しました。このテ・アーペルからの装飾石板の周囲の銘には次のように書かれています。「この石板は、1950年に1000戸の住宅計画の実現に、30の自治体が団結・協力したシンボルとして作られました。」この計画は、当時のウルルム市長オッテファンゲ氏のイニシアティブで行われました。彼は、建築家フクストラ(カウラー&ドレーヴェス建築事務所)と一緒に、住宅の設計に取り組みました。この1000の住宅建築を一緒に実現する計画は、30の自治体にとても快く受け入れられました。
 これに加わった自治体では、その中央に紋章を入れた石版が、既に使われていました。ウルルムやレークではそれらの石板はそのままの場所にあり、ザウトブルク自治体では新しい建物に取り付けられています。
 フローニンゲン美術館は、更にどの石板がまだ元の場所にあるか知りたい、と話しています。そして、50年代の復興に関するフローニンゲン美術館でのプレゼンテーションが考えられています。

 
 近々開催される100年間に収集した作品の展覧会について、もっと知りたい方は、フローニンゲン美術館の(プレ・ニュー)オフィシャルサイトをご覧ください。12月には新しいオフィシャルサイトがオンラインになり、誰もが、美術館が使うHyves、Flicker、Facebookなどのソーシャル・ネットワーク・サービスを利用できるようになります。
 
 
 プレイディニウスシンゲル沿いの元の美術館への一時的な引越しの機会に、美術館は写真コンテスト(新・旧両方のフローニンゲン美術館の写真)を発表しました。ミュージアム島の上のフローニンゲン美術館と、アノ・スミスの装飾石板やその他多くの興味深い芸術作品が展示される「今、旧フローニンゲン美術館で! 100年の収集(1894-1994)」を開催している元の美術館の、長い年月にわたって撮られた写真に、美術館は興味津々です。
 
 
写真(トップ)
・アーペルからの周囲に銘のある装飾石板で、最近フローニンゲン美術館所蔵になったもの。住宅法人アカンタスグループ・フェーンダムによって寄贈されました。
68×70cm
写真撮影:フローニンゲン美術館(マルテン・デ・レーウ)©
 
 
>>Groninger Museum(英語)
 
 
 



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