Trankiel  Groningen - Japan
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写真家 稲宮康人、背後に潜む歴史を示す

「写真は、考えることを求めるもの」
 
 昨年、Leeuwarden(レーワデン)の Fries Museum(フリース美術館)で開催された Noorderlicht(ノーデリヒト)・インターナショナル・フォトフェスティバル『Land』は、ミレニアムの初めから世界中で起こっている田舎の過疎化に関心を向けたものでした。資料によれば、世界の人口の半分以上が今都市に住んでいます。
 フェスティバルに参加した37名の写真家に中に、稲宮康人がいます。そして彼の名前は、ノーデルリヒトのサイトの写真家のリストに加えられました。この印象的なフェスティバルで稲宮康人は「
Highway Landscapes of Japan 2007‐2008」を展示し、日本が1970-80年代に経験した高度経済成長の結果を示します。
 地方における人口減少は、高速道路や他の公共設備の敷設のありように関わっていますが、一方、必要でない高速道路や橋も多く、汚染や景観破壊を引き起こしています。彼は日本の各地を回って撮影し、力強いモノクロームの写真で、アスファルトで舗装された風景を提示します。そしてそれは、日本を経済発展モデルとしている他の急成長の国々への警告とも見られます。
 
 『「くに」のかたち
HIGHWAY LANDSCAPES OF JAPAN 』は、日本では新宿と大阪のニコンサロンで展示されました。
 2007年三木淳賞(ニコンサロンでの35歳以下の年間最優秀者に与えられる)を受賞。2010年には「クロッシング・カオス」展が、新宿・大阪のニコンサロン、ソウル・フォト2010、東川写真の町2010、で開催されています。

 
 

ノーデリヒト・インターナショナル・フォトフェスティバル『Land
<左>フリース美術館 <右>稲宮さんの作品展示コーナー (
Trankiel ©)
 
 
稲宮康人さんへのインタビュー
 
 1975年に神戸市で生まれた稲宮康人さんは、東京の中央大学で国史学を学びました。その学生時代、ヨドバシカメラでバイトをし、ここで一眼レフカメラを安く買えたことがきっかけで、写真に興味を持つようになりました。これに理由がなかったわけではなく、登山に情熱を燃やしていた彼は、もう長い間、山の美しい風景をカメラに収めたいという願いを抱いていました。
 大学卒業後、郵船航空サービス(現郵船ロジスティックス)に就職。冬に休みを取って東北旅行をした時、たまたま土門拳記念館に行きました。稲宮さんは「彼の古寺巡礼を見て、写真でここまでの表現ができるものか!と感動を受け、自分もそういうものを撮ってみたいと思うようになりました。東京に戻り、日本写真専門学校の夜間部に行くことを決めました。」と当時を振り返ります。

 
 それ以前に、写真に関わること、例えば学校で写真部に属していたなどは ...
 
 いいえ、特に写真と関わったことはありません。実家にあったコンパクトカメラを使って記念写真を撮っていた程度です。中学は軟式テニス部、高校は山岳部で、スポーツを楽しんでいました。
 
 その他に関心のあることは?
 
 今までに、ですか?
 
 はい、例えば好きな作家とか、映画とか ...
 
 好きな本は色々ありますが、夏目漱石の小説全て、堀田善衛の『ゴヤ』、イザベル・アジェンデの『パウラ』や『精霊たちの家』、アシューラ・ル・グウィンの『ゲド戦記』。他にもナディン・ゴーディマ、エドワード・サイード、網野善彦など、感銘を受けた本はたくさんあります。
 映画も同様で、宮崎駿の『もののけ姫』、テオ・アンゲロプロスの『永遠と一日』、マヌエル・ド・オリヴェイラの『アブラハム渓谷』、黒沢明の『七人の侍』、その他、タルコフスキー、王兵などの監督作品に感銘を受けました。
 絵を見るのも好きです。昨年(2010年)オランダで見たゴッホもレンブラントもフェルメールも素晴らしかったです。本場の西欧芸術の厚みには恐れ入るばかりです。
 山登りは今あまり時間がないので、年に一回程度です。

 
 これまでにどんな山に登りましたか?
 

 日本で一番高い富士山(3776m)を初めとして、北アルプスの山々、南アルプスの山々に行きました。手軽に行くことが出来る丹沢山塊(一番高い蛭が岳が1673m)が、一番頻繁に行っている山です。大学時代には、ロープを使う岩登りや山岳登攀もやり、北アルプスの剣岳(2998m)にも登りました。最近は技術・体力共に衰えているので、関東近郊の低い山々に行く程度です。
 
 写真に戻りましょう。最初のカメラは、どのようなカメラだったのでしょうか? 又今使われているカメラは?
 
 自分で買った最初のカメラは Canon EOS Kiss で、今使っているのは、大判カメラのエボニーです。エボニー(1981年に写真家の坂梨寛美が創る)は、他の大判カメラと比べて画面の調整がし易いので、使っています。初期のエボニーは、ほとんどのカメラが顧客の希望に応じて作られていました。
 
 好きな撮影ジャンルは? 例えば、ポートレイト、風景 ...
 
 今はテーマの関係で風景ばかり撮っていますが、そのうち人に向かっていくかもしれません。
 
 風景写真の何に、特に惹きつけられるのでしょうか?
 
 例えば、今行われていることや、過去に行われていたこと、が風景には刻まれています。私自身、人が作り、残してきたものを通じて社会を解明していく過程を楽しんでいます。ただ、自分が理解したことを、他の人にも判るような写真に撮るのは、簡単なことではありません。
 

旭川紋別自動車道  © 稲宮康人

 オランダで展示された作品はモノクロでしたが、カラー写真も撮られるのですか?
 
 まず、私は写真を生業にしておらず、自分で決めたテーマの撮影をしているだけ、ということをはっきりさせておきます。ですから、カラーにせよ、モノクロにせよ、こういう被写体をこう撮ると、このような写真になる、というような経験が十分でないと思っています。自分の適正を探る試行錯誤の途中と言えます。自分が選んだテーマで、私が表現したいものにどうすれば最も近づけるか。それによって、カラーにするか、モノクロにするかを決めます。
 モノクロは現実から色を除くので、写された「もの」を抽象化し、意図や感情を反映させやすい。カラーは「もの」をそのまま写し出すので、現実感が強く、作者の世界の見方を提示するのが難しい。単に世界の断片を並べただけになってしまうこともあります。しかし、今取り組んでいる神社のシリーズでは、日常とその背後にある歴史とのギャップを表現できるカラーの方がふさわしいと考えています。モノクロで神社を撮った場合、相性が良すぎて単なるノスタルジーになってしまう、と考えました。一方、高速道路のシリーズはモノクロで撮ったことで、単なる建築写真ではない、同時代性を持ったドキュメンタリーにできたと考えています。

 

 作品で表現したいと思うことは、何でしょうか?
 
 実際のところ、目の前に現れてきたテーマを追っているだけと言えます。取り組んでいるテーマを、どうすれば上手く表現出来るか、試行錯誤で四苦八苦しています。
 前作のテーマは高速道路でしたが、今取り組んでいるテーマは、大日本帝国がその領土内、本土や朝鮮・台湾・南洋諸島・樺太・満州・関東州に建てた神社の現在の姿です。
 それらの神社は、西欧式の近代国家へと転換していく明治時代以降に創建され、天皇を中心にした神国日本を支える装置として機能していました。
 例えば、明治神宮や平安神宮、橿原神宮など、その時代に創建されているのですが、今では過去を知る人は少なく、普通の観光名所になっています。東アジアで一番有名な神社、靖国神社は、戦没兵士を祀り続け、国家主義者の支柱となっており、頻繁に中国・韓国との間で外交問題を引き起こしています。
 これまで主に、中華文明を基盤とした国々、日本、朝鮮半島、台湾で撮影してきましが、その中で共通点があることに気付きました。例えば、京都の平安神宮の社殿と、台湾の台北にある国民革命忠烈祠の建物は、そっくりです。それは、両方とも近世中国の宮殿を摸しているからです。
 1945年までの大日本帝国領で神社が建てられていた場所は、国や地域によって違う運命をたどっています。かなり複雑なのですが、おおまかに説明してみましょう。
 台湾では、50年に及ぶ日本の植民地期の後に圧政が行われたこともあり、日本の統治への反感はそんなに強くありません。日本人への同化が進んでいたことも、その理由と考えられます。多様な条件が相まって、台湾では日本植民期に建てられた神社を含む建物は、遺跡として保存されています。
 一方韓国では事情が異なります。神社は日本帝国主義の象徴とされ、独立後に、地方の小さな祠を除き大きな神社は徹底的に破壊され、残っていません。
 サハリン島では、住んでいた日本人はほとんど本土に送還されたので、そのまま放置され廃墟になっています。最近、日本人観光客を呼ぶための目玉として再整備しようという意見も出ています。
 中国東北部にあった傀儡国家満州国に作られた建国神廟は、廟自体は残っていませんが、廟が建てられていた満州国宮殿(ラストエンペラー溥儀の宮殿)を、日本の侵略を示す証拠として公開しています。
 第一次世界大戦から第二次大戦の終わりまで日本に属していた太平洋上のパラオでも、事情は異なり、そこでは日本の右翼団体が神社を再建しています。まだ行っていませんが、これもカメラに収めたいと思っています。
 日本の植民地でなくなった国や地域が、どのような政府によって統治されているか、又その政府が日本の統治時代をどのように考えるか、といったことが強く反映されている、と考えています。

 

台湾、台北市の台北忠烈祠 (国民革命忠烈祠)。京都の平安神宮の社殿とよく似ています。
© 稲宮康人

 このメインテーマの他にもテーマがあります。近代に創られ戦前の暗い過去を持つ神社が、普通の神社として受け入れられているのは、どうしてなのか? 神社のどこに日本人がありがたさを感じているのか? これらを捉えることができたら、と思います。

 

 良い写真というのは、どのようなことを満たしているべきだと思いますか?
 
 写真はみてもらうよう誘うもの、と思います。それにより、人は世界のはっきりとした姿を見、それまで漠然と目をやるだけでは見えなかったものが見えるようになります。写真は、人々が知っているようで知らない事実を示します。それは、考えることを求める、興味深い材料の提示かもしれません。そして、写真に人を動かす力があれば、本当に素晴らしいと思います。
 
 インスピレーションを得たような、好きな写真家がいますか?
 
 これも好きな作家や映画監督と同様、たくさんいます。日本では、土門拳、濱谷浩、川田喜久治、東松照明がいます。又、先日水戸で見た石元泰博展は素晴らしかった。
 海外の写真家を挙げると、
Becher 夫妻、Donovan Wylie、Fazal Sheikh、Stephen Shore、Sebastiao Salgado、Josef Koudelka、Carl De Keyzer、Ian Teh などです。
 
 最後に、レーワデンでの『Land』展は、どうでしたか?
 
 とても好い写真展だったと思います。様々な写真家が撮った個性ある作品を一箇所にまとめ、今日のグローバル化した世界について「Land」というテーマから光を与え、批判的な見方を提示していたノーデリヒト・フォトグラフィーの方法が、特に印象的でした。
 私の写真も、都市と田舎の関係性を、社会インフラを中心にした風景として捉え表現したもの、という至極真っ当な位置づけを与えられていたので、嬉しかったです。
 私にとって、この規模の国際展に参加するのは初めてで、言葉の壁にも対処しなければなりませんでした。写真家はその作品を通してお互いに話すと言われていますが、その「会話」から、自分の作品が通じることが、はっきり分かり、とても励みになりました。
 また、知り合いになった他の写真家と一緒に
Harlingen(ハーリンヘン)に行き、堤防をサイクリングしました。天気も良く、とても心地の良い時間を過ごすことができました。
 
 フローニンゲンにも一度行きたいと思われますか?
 
 はい。ヨーロッパは遠いので中々難しいですが、機会があれば是非行ってみたいです。
 
 
   *山の写真:© 稲宮康人
 
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>>Noorderlicht Photography(英語)
 
 
写真家 稲宮康人 写真のページ
 
 
 



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