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柳本明子さんを
Wall House
(フローニンゲン)
に訪ねて
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朝早い時間に、郵便受けの聞き慣れた音が聞こえます。ニュースが届いた報せ。うちには2種類の新聞が届けられます。「デ・テレフラーフ」という全国紙と、北部の地方紙「ダハブラット・ファン・ヘット・ノールデン」。後者は地方のニュースがたくさん載っているという単純な理由で。この新聞には又、国内のニュースと同様に国際ニュースもよく報道されていて、ここでは国際的な事柄への関心がとても強いということが分かります。オランダ以外のニュースにもとても注意が払われ、日本からのニュースもこの新聞で読むことが出来ます。この朝の「日本のニュース」は、遠く離れた日本から来たのではなく、かなり近くからやって来ました。ダハブラット・ファン・ヘット・ノールデンのジャーナリスト、エリック・ネーデルコールンは6段記事で、フローニンゲン市に住んでいる若き有望な日本人アーティスト、柳本明子さんについて書きます。いつもより興味深く読んだ好意的な記事。この明らかに翼を広げつつあるアーティストにいろいろな点で魅了され、私は彼女と連絡を取ります。
最初の気持ちの良いコンタクトから数日後、私はバス停へ向かいます。レインコートを着、傘をさして。6月だというのに、突然の夏の遠退き。強風に傘は吹き飛ばされそうになり、私はコートの中で震えます。降りつづける雨が、本当に秋を思わせます。ブルルル、私は思います、昨日までのあの暑さに一体何が起こったのだろう!幸い、家からバス停までは少し歩くだけなので、すぐに私はフローニンゲン行きのバスの中です。インタビューの申し込みに、直ちに気持ち良く応じてくれた、柳本明子さんに会うために。
≪ホールンセメーア(左)とウォール・ハウスへの湖沿いの道(右)≫
彼女は、フローニンゲンのウォール・ハウスに、アーティストとして住んでいます。ウォールハウスは、実験的な現代建築の創造を鼓舞するフローニンゲン市自治体のポリシーに基づき、アメリカの建築家、教育家、詩人でもあったジョン・ヘイダックのデザインが実現されたものです。3つに分かれた居住空間は、それぞれ異なった形・色で、階と階は連続せず隙間が設けられ、入口や階をつなぐ階段とは、厚い壁で区切られています。それは、フローニンゲン市の郊外、ホールンセメーアのすぐそばにあります。
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自然自体が好意的で、この建築の写真を撮る機会を与えようとしてくれているかのように、雨は止み風さえおさまっています。「有難う。」と私は呟き、湖沿いの道を歩きます。
美しい湖畔の風景 ..... 10分ぐらい歩いたでしょうか、湖の反対側に、周りの家々とはとても異なったウォール・ハウスのモダンな建物が見えます。
≪写真上:
Wall House 正面≫
≪写真下:
横から見たWall House≫
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≪斜め後からのWall House≫ |
≪後から見たWall House≫ |
既にいい気持ちになり、私は入口のブザーを鳴らします。柔らかなブザーの音と共に、その家は私のためにドアを開きます。中に入ると、すぐ目の前が階段です。この家の大きさのため、私が会いに来た若い女性が現れるまでに、いくらか時間がかかります。
≪ウォールハウス、入口のドア。傍には、明子さんの自転車が置かれています。≫ |
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柳本明子さんは、穏やかで優しい雰囲気の、奇を衒うところの全く無い、むしろ控え目な印象の女性です。彼女は、この驚くべきウォールハウスの中を、親切に案内してくれます。
まず、2階のダイニングルームへ。それから1階と3階の仕事部屋へ。どの部屋に行くのにも、厚い壁の向うにある階段を使わなければなりません。
≪玄関から2階に続く廊下(左)と、2階のダイニングキッチン(右)≫
とても暑かったので、それまで3階で仕事をしていたのを1階に移したこと、昨日まで湖は水浴や日光浴を楽しむ人達でいっぱいだったことを、彼女は話します。なるほど、3階は、360度、全方位が窓になっていて(一方は大きな壁に面していますが、壁との間には空間があり鳩達の格好の棲み家となっています。) 温室のような部屋です。それらの仕事部屋には完成した作品が窓に立て掛けられ、製作中の作品、その道具や材料が床に置かれています。
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≪1階の仕事部屋≫ |
≪3階の仕事部屋≫ |
≪仕事部屋に立て掛けられた作品≫
それから私が訪問した主目的、明子とそのアート、のための時間です。紅茶をいただきながら話し始めます。彼女がとても正直でオープンであること、そしてアートに打ち込んでいることが、再び明らかになります。
それは早く来すぎたように思えたのですが、会話を終える時間が来た時には、彼女はまさしくスポットライトを浴びるに値するアーティストである、と思うようになっていました。
以下は、これから輝かしい未来へと向かう、この期待すべき若きアーティストに出会い、行ったインタビューです。柳本明子の名前がいつの日か、日本と同様外国のアートの世界で確固たるものとなっても、驚くことはないでしょう。
あなたはどうして刺繍の作品を作るようになったのですか。
私は日本でもアムステルダムでも、焼き物を専攻しました。[東京の多摩美大を卒業後、アムステルダムのヘリット・リートフェルト・アカデミーで学び卒業:トランキール記]刺繍については、身近に作るもの、というぐらいにしか考えていませんでしたが、焼き物とは違った素材も使ってみたいとずっと思っていました。それで、ほぼ衝動的、偶然的に、刺繍を始めるようになりました。
≪ 焼き物の作品。左:Ricehouse、右:Portrait Buddha≫
あなたは「ドメスティックアート」という言葉を使われて言ますが、どのようなジャンルなのでしょうか。
私は、自分の作品が当てはまる新しいカテゴリーを作るために、アムステルダムの学校での卒業論文を「ドメスティックアート」というテーマで書きました。ですから、これは私が自分でつけた名前です。日本で既に、先生からカテゴリーについて教わっていました。当時はそれほど関心がなかったのですが、だんだん自分の作品を作っていくうちに、それに相応しいカテゴリーを求めるようになりました。
私の場合、作ることが好き、というところから始まっているのですが、アートとしての表現を持っている作品を作りたいと思いました。アートというと、コンセプトが中心のものや、生活からかけ離れたものというイメージがあるのですが、私は、アートを身近な存在として創りたいと思いました。私は「ドメスティックアート」を「工芸、工作的なテクニックを用いた、手仕事によるアート作品。その表現は今の時代性を反映し、ファンクションがあるものでも、表現がそれを上回っているもの。ペインティングではないもの。」と定義しました。
ドメスティックアートとして、あなたが表現したいものは何ですか。
身近なアート、肩のこらないアート。刺繍の作品は、とても身近なものばかりを題材としています。家というのは、その人が生まれ育ったところで、そこにはその人のルーツが凝縮されています。自分の根本はそこから始まっているということを、オランダに来て、よりいっそう感じるようになりました。「ドメスティック」という言葉は、「家の」と「自分の国の」という両方の意味で使っています。
身近にある、普段は当たり前のこととして意識していないようなものに注目し、新たな視点が得られるような何かを表現したいと思っています。
どうしてWall House に住むようになったのですか。
私は「ドメスティックアート」という名称を使った、家と関わる作品の展示をしたいと思いました。知人の建築家にそのことを話したところ、ちょうどフローニンゲンの「リニ-」いう新興住宅地の家の設計をされていて、「そこでやってみたら?」と言ってくださいました。それまでフローニンゲンについてほとんど知らなかったのですが、その人達の家の作品を作るのなら、その人達が生活している同じ所に住んで、その雰囲気をもっと良く知りたいと思いました。その時にこのレジデンスがあることを知りました。このレジデンスは、ウォールハウスという、ジョン・ヘイダックという建築家のとてもコンセプショナルな家、一般的に言う家とはとても異なった家に住むというものです。その家から自分がどういう影響を受けて、どういう作品になっていくかを試してみたいという気持ちもあり、申し込みました。ここに3ヶ月住み、その間に製作した作品を、ここウォールハウスで展示することになっています。
今、その展示のための作品と、リニ-でのプロジェクトの作品の両方を制作しいています。後者は、長年フローニンゲンに住み、今度リニ-に引っ越す五つの家族のために、彼等の過去の生活を題材に、新しい生活の記念になる作品を作っています。このテーマは「家」で、新しい家に置くのにふさわしい作品を作るというのが主目的です。しかし、私のドメスティックアートは、家に置くためという意味ではなく、テーマの元が家にある、ドメスティックなところにある、というのがその意味です。
刺繍に使う材料として、どんなものを使っているのですか。
土台としてプラスティックを使うのは、それが透けて見えるので、作品を通してまわりの景色も見え、外とのつながりが感じられるからです。その他、ホログラム紙、布、皮も使っています。毛糸は主にアクリル、木綿の糸も使います。 |
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どうしてオランダを選んで来たのですか。
小学校の時授業で、行ってみたい外国はどこかと尋ねられ、特に何も考えずに、チューリップと風車のイメージで、オランダと答えたのが、最初のきっかけです。オランダのことを書いている本があれば読むようになりました。オランダは小さな国なのに、合法ドラッグや売春など日本では考えられないような斬新なことのある面白い国、とずっと興味を持っていました。日本で美大を卒業した時、今の自分のままで美術を続けていくにはまだ何かが足りない気がしました。もっと違った刺激を受けながら、製作していきたいと考えた時、ただのあこがれだったオランダがそれと結びつきました。
オランダと日本の違いについてはどう思いますか。ドラッグや売春など、オランダは何でもありの自由な国と思われているのですが...
「自由」というのは確かにいいことですが、時には難しい時があると思います。自分が日本で育ったから、又日本人だからそう思うのかもしれませんが、こうしなければならないというルール、あるいはモラルが無くなった時、自分をキープすることを難しく感じる時があります。日本にいた時は、誰もはっきりとは言わないけれど、してはいけないルールのようなものが存在し、それを窮屈に感じていたのですが、オランダに来てそれが無くなった時、解放感と同時に、ちょっと縛られたいという気持ちになることもあります。
安全で楽ですよね。
そう、そうなんです。その、縛られることの楽さがあるということに気付きました。縛られ過ぎると苦しくなって解放されたくなるのですが、そのような違った見方が出来るようになりました。
自分自身、日本的だなと感じることがありますか。
ものごとを考える時に、自分の意志よりも他者の目を気にすることが多いということ。又否定から入ること。なかなか自分の意見を押し出せないところ。曖昧な態度が多いこと。
フローニンゲン州をどう思いますか。
ここの方が(アムステルダムより)生活という点で、自分が今まで知っているものと近いものがあります。アムステルダムは、多分、インターナショナル過ぎました。特に私の通っていた学校は、半数以上が外国人で、皆が同じ土台を持っているという感覚はありませんでした。それは自由でもあるのですが、土台が見えなくなるというような感じがしていました。そういう環境には慣れてなく、初めてでした。
フローニンゲンの方が、もっと土地に根付いている、人々と町がもっと一体になっているように思います。
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Domestic Art of
Akiko Yanagimoto
(柳本明子の
ドメスティックアート)
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≪ Domestic Story ≫ |
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≪ Post ≫ |
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≪ Homeward ≫ |
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≪ Living Room ≫ |
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≪ Narita ≫ |
作品の写真のコピーライトは、すべて柳本明子さんに属しています。
無許可の転載を禁止します。 |
>>柳本明子さんのサイト
>>Wall House (フローニンゲン)(英語)
>>柳本明子、再びニュースに!
柳本明子さんのウォールハウスでの展覧会「 Floating on the Wall 」での作品も載せています。
>>柳本明子さん、フローニンゲンで再び個展
レーモンストランツェ教会での個展「Sublimation of a moment of intimacy」
© 2006 Trankiel
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