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フジ・アート協会


『36 Gezichten』という本
 ニーウェスハンスのギャラリー・ヴィークⅩⅩを訪問し『36 Gezichten(36景)』という本に驚かされます。その本はフローニンゲンのそのギャラリーで1984年12月に開催された展覧会のタイトルをそのまま題名にしたもので、1985年に出版されました。
 およそ四半世紀前に遡りますが、その本は初めから終わりまで興味をそそります。

          北斎に捧げる

 2008年Leens(レーンス)にあるペトルス教会で、C.O.イェレマ(1936-2003)を記念してアネ・ヒルデリンクがデザインした作品の除幕式が行われました。同じ年、その村では彼にちなんだ名前の小道も公式にオープンしました。村が生み出したLainster(レーンスの人)の偉大な芸術家に対する敬意を表すものです。その村は又、ヘンドリク・ヴェルクマン, ヴィレム・テン・ベルヘ, エーデ・スタール等の名前とも密接に結びついています。

 『36 Gezichten』 の序文を書いたのは、このイェルマでした。彼の言葉に惹きつけられ、この詩人が愛するヴィアダの風景が、聖なる富士とまったく同じような感慨を眺める者に呼び起こす、という考えが頭から離れません。
 富士山と、その36景を描いた画家-北斎-の意味についてのイェルマの記述や、「実物とよく似ているという以上の素晴らしい肖像画」という彼の見解など、序文すべてにとても価値があります。その全文をここに載せたかったのですが ..... その中のフジ・アート協会結成についての記述だけをここに引用します。

 「6名のフローニンゲンの芸術家たちがフジ・アート協会に結束しました。友情と同僚意識、独特の手仕事的な技巧に対する考え方、特に日本の文化や絵画への関心を共にしたことが彼らを協力させ、この本の中に見られるような36点の作品‐絵画・線画の30点と俳句6句‐を制作させました。

 フジ・アートの名前は、日本に対する関心だけでなく、シンボルとしての富士山に向けられています。富士は北斎の版画でいつも、葦や波、岸辺と結ばれた山、木桶を作っている桶屋などとの風景で表現されています。富士山は芸術が意図するもの ‐ はかないもの、束の間の動き、確かなものを映す仮の姿の存在を、永遠のイデーとして表現 ‐ のシンボルです。
 霊峰富士は世界の霊のシンボルで、それはそれぞれの葦の茎の中に、波の中に、手仕事の働きの中に存在しています。というのも、個々の葦、高波、個別の活動によって、それ以前の全てと後に続くもの全てが表象されているからです。それらは富士の1景として、個々の中に存在の包括的なイデーを体現しています。」

 この本のためのポーズ
 <左から右へ>
 ヴァウト・ミュラー
 クラーリィ・マステンブルック
 ヘル・シクス
 ツルーディ・クラーマー
 マタイス・ローリング
 ヘル・シクスによるクラーリィ
 の肖像画
 10×15㎝ 鉛筆/色鉛筆

 <富士山が背景に>
 クラーリィによるヘルの
 肖像画
 24×45cm 油絵

 <この絵にも富士山が>



その6名

 本の中で、フジ・アート協会を構成する6名の芸術家の一人、1927年にブラリクム(北ホラント州)で生まれたF.ハルムセン・ファン・ベークが最初に紹介されています。彼女はアムステルダムのライクスアカデミーで学び、詩集、散文、出版、イラストで知られるようになりました。
 和紙に書かれた彼女の俳句6点は、展覧会「36 Gezichten」でとても称賛を浴びました。

 1959年にバウテンポスト(フリースラント州)で生まれたツルーディ・クラーマーはフローニンゲンの造形芸術アカデミー・ミネルバで学び、フローニンゲンのオースターポールトとヴィークⅩⅩでのいくつかの展覧会から、芸術家としての活動を始めました。

 次に紹介されているのは、1947年ヒルフェルスム(北ホラント州)で生まれたクラーリィ・マステンブルックです。アムステルダムのリートフェルト・アカデミーを卒業して間もなく、既に国内・国外で彼女の作品展が数多く催されました。

 もう一人のリートフェルト・アカデミー出身はヴァウト・ミュラーです。1979年にソフィアで開催された「リアリズム芸術のトリエンナーレ」への参加を例外として、重要な展覧会のリストは、彼がクラーリィ・マステンブルックと一緒であったことを示しています。そして、それだけに留まらずに ..... (二人は一緒に暮らし、その後アイルランドへ移住、2000年に同地でヴァウト亡くなる。二人の娘タマラ・ミュラ―も画家。)

 1943年にオーストカペル(ゼーラント州)で生まれたマタイス・ローリングは、デン・ハーグの王立アカデミーとアムステルダムの国立アカデミーで学びました。ギャラリー・ヴィーク ⅩⅩで開かれた「36 Gezichten」までの彼の評価の高い展覧会は、1965‐1970年の芸術家クラブ「De Ploeg(デ・プルーフ)」と一緒のものです。

 ツルーディ・クラーマーと同様、1942年ブールタンゲ生まれのヘル・シクスもフローニンゲンのミネルバ出身です。彼の作品は、フローニンゲン以外では、アムステルダム市立美術館やドイツのボーフムで展示されました。



『フジ・アート協会を求めて ツルーディ・クラーマー 
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