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鈴木 清
ノーデルリヒト・フォトギャラリー
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彼は70年代の初めにその頃の写真の伝統を破った写真家の一人で、その粗野で優しい写真は、エド・ファン・デル・エルスケンのような写真家と比較されました。とはいえ鈴木清の作品はあまりに多くが彼自身のものなので、他と比較することは出来ません。生涯で8冊の写真集を出版した一人の天才写真家が、それらの本の中で映像のことばで私たちに語ります。
ノーデルリヒト・フォトギャラリーを訪れ、価値あるそれらの遺産から構成された写真展を見て様々な思いを抱きます。訪れた者に話しかけ、あちこちで見る者の心を動かす写真展で、懐かしい情景に出会うのと同時に驚きを経験します。それが何であるのか、答を捜します。これらの作品の中に感じられる彼自身の存在感、その人についてもう少し知りたく思い、ノーデルリヒトから得た資料を読み始めます。
「鈴木清は30年以上相対的孤独の内で仕事をしました。しかしそれは又、写真が表現する思いがけない事柄や小さな驚きにも、開かれたものでした。鈴木は自分のやり方でそれをし、自分の直観に従いました。絶え間なく動く人生と戯れ、物語を、文学・音楽・劇場・宗教・貧困・家族の間の結びつきを、捜し求めます。ある時は静かに、ある時は激しく、しかしいつも小ささや人間らしさの脆弱さと高潔さへの深い魅力に駆られて。
60年代の終わりから70年代の初めの彼の最初の作品に、既に不思議な質が見られます。写真集「流れの歌 soul and soul」のそのイメージと内容は暗く、質素で、言葉の良い意味でオブスキュアとさえ言えます。鈴木は若くして既に余分なものを排除した美しさを理解していました。
鈴木の作品は磨きたてられたものではないけれど、そこにはいつも優しさが、そして関わりと共感の源が込められています。彼は真の写真の大家として、生きることの痛ましい美しさがその本質に戻らせる、ということを知っていました。彼の全作品が、生きること自体に捧げられた、文字通りのライフワークです。...」
そして、ノーデルリヒトは彼の写真集についてもう少し詳しく紹介します。1972年、最初の写真集「流れの歌 soul and soul」が自費出版され、続く写真集も同じように出版されることになります。この第一作目の写真集は、彼が子どもとして育った周辺の炭鉱が撮られており、当時の炭鉱労働者と彼自身の子ども時代への敬意を表すものと見ることが出来ます。その後彼は57歳で亡くなるまでに、7冊の写真集を出版します。ノーデルリヒトはこれについて、次のように述べています。
「特別なそれらの写真集の中でクラシックなモノクロームの写真の映像が破裂し、どのように鈴木が絶えず映像のことばで遊んでいるかを、私たちに示しています...」
彼の作品と鈴木清について読んだことに感銘を受け、「今年最高の写真展の一つ」ということばについて考え始めます。
自身の生涯を捧げた...
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上の写真はノーデルリヒト・フォトギャラリーより提供していただきました。
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© 2008 Trankiel
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