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2001年ヤニー・レフネールスは1年間日本に住み、この国やその住民に魅せられました。現代技術を自明のように抱きながら、同時に日常的に、神々、霊魂や不思議な儀式に満たされた人たち。
彼女の友人エツコは、木々や川から眼鏡やカメラまで、すべてのものに魂が存在すると信じることに基づいた、日本人の生活のこのような側面を知らせます。
第5章は京都郊外の山に登る話で始まります。
「山道は曲がりくねり、険しい坂です。木々の間から香が微かに匂ってきて、前に進むごとにその香りが強くなります。遠く道の傍に、一人の男の影がぼんやりと現れ
ます。私は本能的に地面の折れた枝を拾い上げます。5mほどの距離に近づくと、その男は跪き、信心深く両手を合わせ、大木の方向を拝んでいます。ズボンが汚れないように濡れた苔の上にビニールを敷き、跪いています。私はきまりが悪くなり、手からその枝をそっと落とします。
大木の根元の深いくぼみから、一掴みの線香からの煙が立ち上っています。木の傍には、巣箱を大きくしたような、超小型のミニ神社(祠)が立っていて、その中に陶器の小さな狐が入っています。狐の置物はあちこちが欠けていて、一つには耳が、もう一つには尻尾がありません。両方の狐の間にはお供え、錆びたコインと壊れた酒ビンが置かれています。
エツコはそれに注意を払うことなく右への道を歩いて行きます。私は男と木の方を振りかえり、よろめきながら彼女の後に続きます。その場を少し離れてから、私はエツコの背中をつつき、その男はどうして森の中で小さな陶器の狐を拝んでいるのか、尋ねます。私たちの傘は互いに引っかかり、エツコは雨音に負けないように、稲荷の狐は商売繁昌・豊穣の神さま、と声を張り上げます。ここ森の中に商売が上手くいくよう祈りに来ているのは、おそらく小売店主でしょう。大きな多国籍企業にさえ、店の中とか会社の屋上に、狐稲荷にお供えをした祠が置かれています...
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