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フローニンゲンと馬


 1823年6月25日 水曜日。その日は、ヤコブ・ファン・レネップとその友人ディルク・ファン・ホーヘンドルプが北部の3州を周遊旅行中で、ファームスムとヴィンスホーテン間を踏破する日です。とりわけフィンステルヴォルデの周辺に問題があることが、欠かさずつけられていた彼等の日記の中に書かれています。「...ここで、私達は百以上の農家の眺めにうっとりとしました。それぞれが3階建てで、とても大きな納屋が備え付けられていて、プラウシスヘン・ポルダーへと見渡すかぎりに伸びています...」


 ここから、当時のそれら豊かな農場主達のところから、フローニンゲンと馬についての物語は始まります。農場主達は皆、優雅さからは程遠いのですが、粘土質の土地を耕すのに不可欠なこれらの馬を飼っていました。しかし、裕福な農場主が見せびらかせる決まった馬はありませんでした。そのため、ドイツとイギリスから種馬が連れて来られました。このことの結果は、現在スポーツ馬を有しているということだけでなく、数多くの乗馬クラブが生まれました。このような発展の直接の影響として、競馬場がたくさん出現しました。馬が主に耕したり他のことのための役に立つ動物と見なされていた時代は、過ぎ去りました。


 最も古い馬術競技会がフローニンゲンで開かれるのは、当然のことのようです。フローニンゲンの解放が祝われる8月28日に開催された「ペールデスプル」は今年(2007年)で150年祭を迎えます。そのため、ベアトリクス女王が自らこの年のお祝いに出席します。


 私達も朝早くから、フェスティバルが開催されるフローニンゲン市へ出かけます。ケルミスの準備の整ったフロート・マルクトに到着し、フローニンゲンには馬がとても似合っていることが、私達の目を再び捉えます。マルティーニ塔の上に、とても特別な風見が見えます。馬です!もしもう少し詳しく調べたな
ら、これはもしかすると、その教会の守護聖人セント・マールテンの馬を表わしているのかもしれないのですが、この伝承に歴史的な裏付はありません。
 はっきりしているのは、私達が地上から写真に撮ろうとしているその馬の形をした風見は、1824年からのものだということです。

 今日は馬を見るためフローニンゲンに来ているので、市中で行われている他の催しには行かず、審査が行われるオッセンマルクトへ直行します。プログラムの小冊子から、ここでは参加した馬の品評が行われ、馬達は外見、歩み、トロットが評価されるということを知ります。この審査が終わった後、馬達は再び馬車のショーのために登場し、型、姿勢、気性、位置、動きが評価されます。
 この二つの審査の間の休憩時間に、フローニンゲル馬に十分な関心が払われます。7人の騎手からなる軍旗衛兵で始まり、その後調教師に付き添われた10頭のフローニンゲル馬が出場します。






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 私達は最初にオッセンマルクトでの品評会を見、それが終わるとすぐにスタットパークの速足のトラックへ行くことに決めていました。そのため「ペールデスプル」の初めの部分は見逃すことになりましたが、嘆くことはありません。まだまだたくさん楽しむことができます。一頭立てフリースラント種と二頭立てのオープン・クラス。その後、ZとZZのクラスの、一頭立てのハクニー種と壮観なジャンプが「Win or Loose」というタイトルの下に行われます。
 婦人達は一頭立ての馬車に乗り、競技会でオランダ・チャンピオンシップを争います。ナショナル・チャンピオンシップも同様に、この競技会で、二頭立ての刈り入れのワゴンで競われます。
 フローニンゲル馬協会によるショーがあります。回転木馬の音楽で、軍旗衛兵もそのグラウンドに現れます。
 特別素敵なのは、フリースラントのカドリール・ショーです。プログラムのパンフレットには次のように書かれています:「フリースラントの馬車の一団は、1963年からフランス‐イタリアの乗馬ダンスが起源のカドリールを披露します。フリースラントのカドリールは、ほとんどが家族の所有の手塗りで彩色された素晴らしい1頭立て2輪馬車8台で演じられます。フリースラントの馬に引かれた馬車には、伝統的なフリースラントの衣装を着たカップルが乗っています。フリースラントのカドリールは、フリースラントの馬大使と見なされています。




 本当に印象的な演技の間に、ベアトリクス女王が自身の青い幌つき馬車で、王立民衆娯楽の会会長P.エスペールト氏、J.ヴァラヘ市長、M.カーロン代表に付き添われて、トロット競技のコースに到着します。そのオープン4輪馬車は、ヘルダーの馬達と、25年存在するフローニンゲル馬の血統登録帳への敬意として王室厩舎の一頭のフローニンゲル馬に、繋がれています。


 1時間ほど後に、又素晴らしいショーが始まります。ノードルハイム・ウェストファリスヘス・ランドゲスツット・ウァーレンドルフによる、調教師のカドリールです。プロの騎手と競技の騎手から成るチーム。
 残念ながら、4頭立ての馬車競技アイスブランド・シャルドンや...で何度か世界チャンピオンになった馬車を見逃してしまいました。しかし当然のことですが、同時に違った場所にいることはできません。


 家へ帰る途中、私達はこの日のスタット(フローニンゲン市)について、オッセンマルクトでの馬の品評会について、スタットパークのペールデスプルについて、話し続けます。マルティニ塔の上の風見とフローニンゲル馬について。
 「フローニンゲンと馬は本当に良く合っている。」
 「ビースムにあるプリンス家の乗馬学校のような馬場、レークにあるナショナル馬車博物館のことなどを少し考えたら、本当にそうだと思う。」 
 「来週、スロホテレンで四輪馬車のパレードが行われるよ。」




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レークのナショナル馬車博物館


 レークの歴史は、16世紀にヴィフボルト・ファン・エウスムによって建てられた、ボルフ(大邸宅)・ニーノードと密接に結びついています。それは1884年に、ヨンクヘール(平貴族)J.A.E.A.ファン・パンハウスの手により取り壊され、ロアールスタイルで再建されました。フローニンゲン市のヘーレ広場の彼の家と同じ様式です。
 ボルフの敷地の中に、毎年何万人もの人たちが訪れるナショナル馬車博物館が設立されています。ここでは、世界最大の国家的な馬車のコレクションを見ることができます。ヨーロッパのその他二つ、ウィーンとリスボンにある馬車博物館は、それぞれ150から160の馬車を集めていますが、レークには250もの馬車があります!又その二つの博物館は王室の馬車だけなのですが、ここでは様々な種類の馬車を見ることが出来ます。その多くはフローニンゲン州からのもので、選ばれたトップ50の馬車の中でも、フローニンゲンの馬車のことがよく語られています。博物館長ルク・エークハウト氏は、昨年これについてインタビューされたと話します。「それらの馬車によって、フローニンゲンの歴史の美しい一齣を垣間見ることができます。1900年頃ここでは、多くの裕福な農場主達がプリンス・アルベルト・タイプの馬車を持っていました。よく召使いが背後の泥よけの上に座っていました。」(ダハブラット・ファン・ヘット・ノーデン、2006年2月25日)

 スタットパークでヘット・ペールデスプルが終わった後、ベアトリクス女王がそれに乗ってトロット競技のコースに到着した青いほろ付き馬車はその博物館に運ばれ、数週間そこで展示されました。この名品は1875年に、パリでヘンリ・ビンダーによって作られたもので、4年後に当時の王ウィレム3世が購入したものです。両側のドアに王冠を抱いたWの文字があるのは、そのためです。後に、この長さ4.36m高さ2.30mの馬車は、女王の母エマ(ベアトリクスの祖母ウィルヘルミナの母)の私物となりました。
 詳細を少し:その馬車は4人乗りで、後部座席を半分開いた革製の幌が覆っています。それは又フローニンゲンでのように、馬車全体をオープンにするため下げておくことが出来ます。木製の車体と台座は紺色に塗られ、金色の飾りが付けられています。

 馬や馬車が好きな人には、博物館への訪問の他にもまだ楽しめるものがあります。4月から10月までの間、大型遊覧馬車やほろ馬車で周遊することが出来ます。フローニンゲンと馬。レークには、更に特別なものがあります。2003年、普通の草原の真ん中で行われる速歩競馬の古い伝統が復活され、遠い昔に行われていたような競馬レースがここで再現されます。






>>フレイレマ四輪馬車パレード









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