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ステードゥムの全体が「Kunstspoor(アートの軌道)」に

アート・フェスティバル

何千人もの訪問客を

ヴィアダの村へ

 中世の初めに商業のヴィアダとして始まった村、ステードゥム(Stedum)は、ここ数年来3日間続いて開催される「KunstSpoor」で知られています。
 2009年の「KunstSpoor」では、そのテーマとしてフローニンゲン‐デルフザイル間の鉄道開通125周年に関するものが選ばれました。その鉄道は又その村を通っています。
 キリスト昇天祭の祝日、そのイベントのオープニングのため、アルノ・ファン・デル・ヘイデン、ヘルディ・ニーホフ、ラウレンス・ファン・ロトゥム他による短い劇『Olga(オルハ)』が上演されました。よりによってちょうどその時に、激しい雨が降って来たので、野外で鑑賞していた人々は傘をさしたり駅の屋根のあるところに入ったりしなければなりませんでした。
 『Olga』は「IVAK De Cultuurfabriek(イヴァク・文化工場)」が制作したもので、6月21日まで「Theater in de trein(車中劇場)」という名のもとに1日に2回デルフザイルからフローニンゲンへ向かう電車の中で演じられます。
 その劇が始まる前に、ハンス・ヘリツェンが代表してこの鉄道開通の重要さを指摘し、その後アルベルト・ローデンボーフ市長によって、とても多くのボランティアによって再びここに素晴らしいイベントが実現したことに賞賛の言葉が述べられました。又、KunstSpoor協会の会長でステードゥム出身の造形作家、マリア・フークセマも、それらの努力を称賛しました。



A.ローデンボーフ市長(後席
手前)も『Olga』に出演

 開催者は、駅からイェンセマヘールトまで村を通る1キロメートルの Kunstspoor を、『Beweging(移動)』というテーマで作りました。書記官のヨーハン・ブロケンはインタビューの中で「あくまでアートが中心ですが、他の活動も数多く実施されます。」と話します。詩、ダンス、演劇、歌。ステージが村中に散らばっているのではなく、様々な場所に次々と現れます。


 村の端にある駅を離れるとすぐに、それがどのように現れるのか、分かります。歓迎のために大きな合唱団のメンバーたちが敬意を表して道の両側に並び、訪問客たちが彼らの間を歩いたり自転車に乗ったりして通るのに、歌いかけます。これ以上の歓迎があるでしょうか?
 暖かいもてなしとして、40軒の家が芸術作品を展示する場所を提供し、今そのフロアにはひっきりなしに人々がやって来ます。約300人のボランティアをどう言えばよいのでしょうか。そう、ステードゥムの住人たちの4分の1が KunstSpoor のために協力しています。
 入手したインフォメーションには、まだいくつかの事柄や数字が載っています。53名の芸術家と150名のアーティストが参加しています。夜にはイェンセマヘールトのラウンジカフェで詩と音楽が楽しめます。古いトラクターも演奏に参加するシンフォニー、「トラクターコンサート」が行われます。どのくらいの訪問客数が期待されているのでしょうか?開催者は5千から7千人の間と見積もっていますが、それは「Stedumers(ステードゥマーズ:ステードゥムの人たち)」の数をはるかに上回っています。
 訪問者たちのために綺麗なカタログが作られ、ルートに沿った様々な場所で手に入れることが出来ます。

レイン・ポルのアトリエの中 
 最初に出会う、数十人が列を作って並んでいるオープンハウスは、画家レイン・ポルのアトリエです。これが私たちにとって特別な意味を持っているのは、彼の作品のいくつかが桜の花をテーマにしているからです。彼自身の庭に堂々と立つ木。日本との関わりが「桜の木についての日本」だけでないことを知らされ、「トランキール」はこれを更に詳しく載せたいと思っています。この秋エールデの De Buitenplaats(デ・バウテンプラーツ)で開かれる個展に出品する作品も、KunstSpoor のこの機会に展示されています。
 レイン・ポルは話します。「これは大きな三枚続きの絵画になっています。左は60年代と70年代の追想で、右は未来を垣間見ています。真ん中には私の芸術の友たちがいます。北のリアリズムへの敬意です!」
 私たちはここにもう少し長く留まりたかったのですが、外には既に関心を持つ多くの人たちがその小さなアトリエに入るために並んでいたので、心を残しつつそこを後にしました。

 1883年駅の建設後に敷設されたスタシオンヴェヒを通り、「芸術を渡り歩き」し、19世紀末から20世紀の初めに建てられた家や別邸を見ます。今日はかなりの数の民家の庭に芸術作品が置かれ、住居のドアは鑑賞者のために開かれています。この道に沿って、1926年に表現主義建築の市庁舎が建てられました。建築家J.ベニンハの設計によるもので、ステードゥムがロペルスム自治体に属すようになる1990年まで、それは市庁舎として使われていました。




以前の市庁舎

 私たちにとってステードゥムのこの日のハイライトの一つは又、ヴェルクマン・ファミリーの家に展示されていたノエラ・ロースの作品です。もう以前から彼女の「アジア・コネクション」-彼女は最近はベトナムに住んでいます-に注目していたということも、言っておかなければなりません。特にスリランカでのプロジェクト、カサルワの仏教寺院の壁画制作に関心を持っていました。
 カタログには、ノエラはもう何年も動きのあるモデルやダンサーたちを描いていることが、書かれています。彼女は「それは私にとって決して飽きることのない題材です。筋肉の動き、どの筋肉が弛緩し、どの筋肉が緊張しているのか?他のダンサーより、どの筋肉が大きいあるいは小さいのか?そこで光はどのように動くのか?これは私に、いつも又新しい風景を見せてくれます ... 」

 村の中心、13世紀からのロマネスク・ゴシック様式のバーソロミュース教会の傍にやって来ます。この頑丈な十字形の教会の名前は、使徒の一人と結びつけられていて、フローニンゲン州でのロマネスク・ゴシック様式建築術の頂点と見られています。内陣には、ニテルスムのボルフ(地主の大邸宅)の主で、1648年にミュンスターで締結された講和条約の連著人として知られている、アドリアーン・クラントの大理石で出来た壮麗な墓があります。ステードゥムの歴史上の偉人の一人です。
 教会の中では美しい歌声が聞こえ、パイプオルガンが響き、詩が朗読されます。展示作品のひとつである墓石の脚部にはハロ・ニケルス作『ノアの箱舟』と書かれています。礼拝所の外に置かれている見事な猛禽の像の作者でもある芸術家です。
 そして、とりわけ教会のインテリアを描くことで良く知られたヘンク・ヘルマンテルが、それらの絵と同様に有名な彼の静物画のいくつかを、バーソロミュース教会で展示しています。


 教会を後にして、以前のヴィアダの頂上を通る、ホーフト通りに入ります。この通りでも実際、全てを鑑賞するのに目や耳が足りないぐらい、見るべき聞くべきものがたくさんあります。
 例えばエディ・ロースが制作した素晴らし像です。彼はノエラ・ロースのお父さんで、スリランカのプロジェクトにも一緒に参加し、動きのあるモデル、ダンスへの愛をノエラに伝えました。彼の作品はレーンスにあるボルフ・フェルヒルダースムの庭をもう何年も飾っていて、多くの人たち、とりわけそのボルフを訪れる人たちがエディの作品を知っています。
 アウトハウゼン自治体に属するファルオムの以前の小学校の中に、彼のアトリエがあるだけでなく、彫刻、線画、グラフィック作品を常に展示しているエディ・ロース美術館もあります。そしてそこでは ,,, ダンス・フィルムも見ることが出来ました!

 この元学校の中には、ラシェル・ディールアールトのアトリエもあります。彼女も又、2002年と2004年にスリランカのプロジェクトに全力を傾けた四人の芸術家の一人でした。
 カタログから、この二つだけが彼らの類似点でないことが明らかです。ラシェル自身が次のように語っています。「私の作品の重要なインスピレーションの源は、人間とその身体です。作品の中で、私は特に色や印象的であることに気を配りました。私は観察から制作することが多いのですが、純粋に記録したり写真のように接近したりはしません。現実的なテーマを構成や色次元を決めるのに用いますが、その際、構成の基礎を強固にするため現実の形を抽象します。構成と抽象は、絵画や線画が形象的物語を超えるために、私にとって重要なことです。」
 ホーフト通り沿いの40番地で、彼女の作品のいくつかを鑑賞します。最近ファルオムの彼女のアトリエを訪問していたので、それらとは再びの出会いです。それは、彼女へのインタビューのための訪問でした。


 私たちの終着点はイェンセマヘールトです。その農場ではマチルダ・へメスのエロチックな牝牛のフィルムが上映されています。それは「sex sells」と見なされなければならないのでしょうか?その作者自身に語ってもらいましょう。
 「私の芸術は、無力さと死を扱ってきました。それは最近より心地よい、少しセックスの方向に向かっています。私自身に首の癌として死が近づいて来た時、そのために古い作品のいくつかがより多くの意味を持つようになりました。
 『KunstSpoor ステードゥム』に参加するよう誘われ、そこで何か仕事をすることは素敵だと思いました。5年前にその展示で見た美しいアートをまだ覚えています。気持のよい村とその周りの生き生きとした緑の牧草地。私が作りたかった「エロティックな牝牛のフィルム」に理想的です。
 私はその映像を2008年夏ピレネー山脈で撮りました。牝牛たちは、私たちの牝牛たちと比べ、より少女のようで、より官能的で、より裸のお尻です。私は彼女たちに可愛いレースの付いた靴下をはかせましたが、彼女たち自身が元々素晴らしい。小刻みに震える肉、揺れ動く尻尾、彼女たちのビロードのような外陰、ぶら下がる乳首、紫色の肛門。そしてそれから、わくわくさせるくすぐるハエたち!
 それらにとても興奮しましたが、私も牡牛なのでしょうか!」

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