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お隣りのフリースラント州や、締切堤防の向こう側の北ホラント州と同じように、フローニンゲン州の北部も又ワッデン海に面しています。そこはとても個性的で、豊かな文化の歴史を持つ、多くの点でユニークな景観の地域です。
今月(2009年7月)ユネスコの世界遺産リストに登録されるという栄誉を受けましたが、それはとても相応しいことと言えます。「かけがえのない」「ユニークな」ワッデン海は全世界の遺産とみなされるユニバーサルな価値を持っている、と当該団体は強調します。
ユネスコは様々な基準で、ある地域や景観が、世界遺産に値するかどうかを判定します。ワッデン海は自然遺産として、この基準の3つでそのユニークさが評価されました。
まず第一に、様々な種類の生物が生息しています。ワッデン海は、陸生動物や水生動物、単細胞生物から魚類、鳥類や哺乳類まで、優に1万種を住まわせています。毎年少なくとも1000万から1200万の鳥が、あらゆる方角、例えばカナダ、アジアや北シベリアから、必須の中継地として、この広い地域に立ち寄ります。
次にワッデン海は、陸地から流れ出る淡水と海からの海水が互いに出会う地域の変わりやすい景観の中で、自然や動植物がどのように適応し続けるかを印象的な方法で見せてくれます。
又、ワッデン海が世界的に重要なのは、地球の歴史について多くを語っているからです。
農水省のヘルダ・フェルブルフ大臣はこれについて、「世界遺産リストに登録され、ワッデン海は今日から世界のユニークな地域の一つに加えられました。世界遺産のステータスは世界的な評価をもたらし、それは、そこに住む人たちやそこで働く人たちが今日までその地域を扱ってきたやり方が評価された、ということを意味しています。」と述べました。
フローニンゲンとフリースラントの州境の入江であったラウヴェルス海は、60年代までワッデン海の一部でした。1280年の洪水によって生まれ、その名前はそこに流れ込んでいた州境の川の名前にちなんだものでした。1849年には既にその締切りの話が出ていましたが、1958年に制定された新しいデルタ法によって実際に始められることになります。それは拍手では迎えられず、とりわけ彼らの生活が脅かされると見たザウトカンプの漁師たちから多くの反対が出ていましたが、実行され、1969年5月25日に約千年間存在したラウヴェルス海はなくなり今日のラウヴェルス湖になりました。
そのうちに、そこは人気のリゾート地の一つとして著しく成長しました。ナショナルパーク・ラウヴェルス湖の約2000ヘクタールは、多くの水域から成り立っています。以前の水路や溝、海が入り込んでいたところが締切られたもので、そこは今でもいつも海と結びついています。多くの鳥が生息する地域であるのも当然のことです。何千羽ものガチョウがそこで越冬し、カイツブリ、カワアイサ、ホシハジロ、ソリハシセイタカシギや様々なチドリの重要な餌場となっています。
... 芸術は基本の必要で贅沢ではない ...
マイケ・ボス |
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マイケ・ボス、意味深い展示で驚かせる
『Wad Naakt』は人と自然の相互作用を表しています |
2009年7月15日の新聞は、「ワッデン堤防の上で対面したヌード写真」という見出しで話題の展覧会の記事を載せます。フリーランスの写真家マイケ・ボスは、20枚の大きな白黒写真、本当にワッドと一体化したような裸の女性の写真で構成した展覧会を、大胆にもラウヴェルス湖に沿った
Zeedijk(海沿いの堤防)の上で開催しました。
この展覧会はラウヴェルス湖40周年のお祝いと一緒に実現されたこと、幾人かが裸の写真を問題視したこと、をインターネットで知ります。しかし、そのテーマや写真家のことを少し良く知るなら、これは人に衝撃を与えようとするものではなく、深い意味を持っていると結論出来ます。
実際のところ、これ以上に美しく表現されることが出来たでしょうか。
ワッデン海、海水と淡水が出会うところ。絶えず新しい命が生みだされている素晴らしい母胎。これが分からない人は、創造についても少ししか理解出来ないでしょう。海が又気まぐれなのも確かで、それはよく女性についても言われてきたことではないでしょうか? 我が家にいつもいる母のような海。
マイケ・ボス自身が話します。「展覧会は、ワッドやその周辺、人々が織り交ぜられたものです。」彼女は先の新聞記事の中で、これを更に説明しています。「この風景の中に見た丸い形は、無意識のうちに女性を思わせました。女性は男性よりも、もっと美を象徴していると思います。又、母なる大地とも言われ、女性は何か地上的なものを持っているとわたしには思えます。もしかすると、男性はもう少し天国的なのかもしれません。女性はかなり速く、写真にしっかり捉えられます。男性は又、私の気持ちを他に向かわせすぎるのかもしれません。」
『Wad Naakt』は、自然と人との相互作用に気付かせるビジュアルな物語です。それ以上でもそれ以下でもありません。そのアイデアは、人とその適応の力- 大きな喪失や大きな悲しみを担うことの出来る力、不可能を可能にする強さ – にマイケ自身が魅了されていることから生まれました。
それはいかにもこの若い女性らしいことです。このことを示すものは、中でも彼女のホンジュラスへの関わりです。これは2003年に「Libre Expresión」の設立という現実の成果を実らせました。海岸堤防の上のこの展覧会に、彼女はホンジュラス協会のための募金の可能性も見ています。その願いはもう成功しているということが出来るでしょう。もう多くのスポンサーが申し出ていますから。
展示作品に、彼女は更に付け加えます。「この特別な場所で人を裸体で撮影することによって、人の弱さと強さが見られる、最も純粋な、最も汚れのない、最も剥き出しのものに到達します。ワッドはこの中で、何にも覆われていない最も裸の地域としての役割を演じます。海が退くその時、生と死の多くの形が突然見えてきます。ワッドは又、自身を覆ったり露わにしたり、すべてを潮に任せています。」
彼女は展示写真を四つのテーマ、「大きな自然、小さな人間」「ハーモニー」「演劇」「自然が支配する」に分けています。
マイケ・ボスと並んで、他の二人の若い女性もこの特別に美しく興味深い展覧会の責任者です。アネミーケ・ニーボルフは、映像物語・PR・コミュニケーションを担当しています。ヨーケ・コプスは財政担当の総合責任者です。
そして、このプロジェクトはブロート(Broot)協会によって経営されています。
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ラウヴェルスオーフの堤防上での写真展「Wad Naakt」は、2009年9月15日まで開催されます。
<左の写真>
左から右へ:
アネミーケ・ニーボルフ
マイケ・ボス、
ヨーケ・コプス |
マイケ・ボスは1977年5月11日、フーレー・オーヴァーフラケー(南ホラント州)のディルクスラントで生まれました。アウトドルプ(南ホラント州)へ引っ越しした後、家族はラウヴェルス湖を選び、そこに移りました。当時15歳であったマイケ、子供時代をずっと海の近くで過ごした自然が好きな彼女は、すぐにワッデン海が大好きになりました。新しい環境がどれだけ家族に影響を与えたかは、両親がラウヴェルスオーフのキャンピング・レクレーションセンターを購入したことからも、明らかでしょう。今そのセンターは彼女のお兄さんが所有しています。
しかしマイケのワッデン海への愛着は、それから離れられないほど強くはありませんでした。引っ越しの後のかなり早い時期に、彼女は広い世界へと旅立ち、たくさんの国々、そこに住む人々や文化と出会いました。それが今日の彼女、理想を追い求める情熱的な若い女性を作り上げました。
特にアフリカやホンジュラスでの開発援助の仕事のため留守にしていた15年の後、彼女はラウヴェルスオーフへ戻って来ます。彼女自身これについて「ここにはワッデンの静けさとそのままの自然があります。それは私にとてもよく合います。」と語ります。マイケはフローニンゲン市のフォトアカデミーで学びながら、昨年から同時にフリーランサーの写真家として働き、市内に事務所も持っています。
「都会的な環境で仕事と学習をする変化に富む生活と、自然の中に住む安らぎは、私にあるバランス感覚を与えてくれます。」とマイケは話します。
彼女は自分の近くの人々やテーマを撮影し、それらを出来るだけ誠実に対照的に表現しようと試みます。彼女は写真を通じて見る人を、傷つきやすさと強さ、順応性と意志の強さ -
人間の力 と、対面させます。
彼女の経歴を知れば、彼女がこれまでに成し遂げたことに心を動かされることは、疑いありません。簡潔に紹介します。アムステルダム自由大学の修士課程で、政治・コミュニケーション・組織を学ぶのと同時に、フリヒューン(グリフォン)文化センターでアナログ写真のコースを修めたのは、22歳の時です。それ以前にドックムのドッキンハ・カレッジでHAVO(上級中等教育)の証書を取得してから、レーウワルデンのステンデン大学で4年間レジャー経営学を学び卒業しています。その大学では後に、又彼女自身が教えることになります。
2005年には、ホンジュラスのアライアンス・フランセーズでアナログ写真のコースを学びました。その国は又、彼女の人生に大きな役割を演じます。
2003年、「Libre Expresion」を設立し、今日まで運営してきました。それはNGOの一つで、ホンジュラスの住民の中でも弱い立場の人々の表現や発達を促進することに取り組んでいます。ここでは、コミュニケーションや教育、そして個人的、社会的、文化的発達の鼓舞のために、写真が媒体として使われています。
又、アルゼンチン、キューバ、アメリカ合衆国での三つの国際会議へも出席しています。家の近くでは、フローニンゲンのノーデルリヒト・フォトギャラリーの『Act of Faith』に参加し、外国ではホンジュラスで、国連のコミュニケーション専門員として働き、ケニアのMOI大学で学び、そこでエコ・ツアーの研究をしました。
写真に関しては、いくつかの目立った業績が挙げられます。2005年2月に、写真集『ホンジュラス 24時間』を出版、同じ年にテグシガルパで『ホンジュラスのイメージ』を展示、同時期にラウヴェルスオーフで『オランダの風景の映像』を展示しました。その1年後には、キューバのオルギンでの展覧会『ガリフナのイメージ』でも彼女の作品が展示されています。
そして彼女は今、彼女のとても大切なラウヴェルスオーフで、このとても印象的な展覧会『Wad Naakt』を開き、驚かせています。
ラウヴェルスオーフにある Zeedijk(海沿いの堤防)上の写真展 『Wad Naakt』 を支えるチームの一人、作家のアネミーケ・ニーボルフは写真展からインスピレーションを得、次のような物語を記しました。その中で彼女は、読者を2007年に6カ月滞在したガーナへと運びます。そのアフリカの国で、それまで知らなかった人間の力と出会うことが出来ました。
その力を又、彼女はここラウヴェルスオーフに戻って来て、マイケ・ボスの展示作品の中に見出しました。
トランキールは、アネミーケのこの意味深い物語を 『Wad Naakt』 レポートの締め括りとして、以下に掲載します。
ここガーナでは、人の死はとても異なった意味を持っています。死はここでは全く日常の生活の一部です。失った深い悲しみが少ないわけではないのですが、死の扱いがオランダと比べ、私の眼にはとても自然に映りました。オランダではとても早くに、よく1週間の内に埋葬か火葬にされます。それはほとんど、普通の生活から遠く離れた町の外れのどこかで行われます。埋葬は見知らぬ埋葬業者が行います。それから、哀悼のカードの標準文例が載った本が持って来られます。標準の哀悼花束を選ぶための同種の本も持って来られます。
ここガーナでの埋葬と比べると、ビジネスライクで個性のないものに見えます。お金をどのぐらい持っているかによりますが、ガーナでは埋葬は出来るだけ延期されます。まず防腐処理が施され、半年も保存されることもあります。ガーナでは埋葬の雰囲気はいつも、お祭りとも劇ともつかないものです。棺は大きな呼び声や泣き声と共に、村中を家族や友人たちによって担がれます。皆が棺について歩き、その後飲み、踊り、泣きます。まるで死をより良いものと考えているようです。そのことは彼らを、とても勇敢に、又強くしているように見えます。
私は6カ月間、開発援助の仕事をするためガーナに滞在しました。私は何度も、今本当に援助が必要なのは誰なのだろうか、と自身に問いかけました。もちろん、実用的な領域でガーナの人たちは、とてもより良い環境を得ます。そのことに全く疑いはありません。インフラ、健康ケア、教育に関して、多くの改善が出来ますし、されなければなりません。又ここには、自分が人生でしたいことを自分で決める自由、選択や手段が、そんなにありません。オランダには、そのような豊かさはあります。それは確かですし、それを無くしたいとも思いません。しかし私は、ここで彼らが生活や不運に取り組んでいるそのやり方を、一つの手本として受け取ることが出来ました。
家に向かい、私は考え迷います。そこで人々は、とりわけ予定表や仕事、「しなければならない」事々に支配されています。私たちは、幸せになる権利があるという考えを教育されています。私たちがまだ主であり得ているのは、私たちの財布です。ほとんど皆がお金は充分に持っています。少ない自由時間には様々なものが用意された多くの店を歩きまわります。それらの店で、再びお金を渡しメディアの中で指令された品物を買います。又後でお金に関わる、私たちの家のためのまさしくその色のペンキ、私たちの庭のためのまさしくその種類のバラを、何週間も探します。
これらを考えると、オランダは、回し車の中にハムスターがいっぱいの、完全に組織されたケージのように思われます。
ガーナでの生活がオランダの生活より、より美しく、より良く、より深いとは、敢えて言うつもりはありません。そこで6カ月間住み働いた後、まだたくさんの神秘に包まれた美しい文化の全体から、あるヒントを知り得たと感じています。私が確かに知っていることの一つは、これらの人々の生命力、楽天主義、団結心に心を打たれたということです。
私のガーナへの旅行は、もうかれこれ2年前になります。私のものの見方が変わったことをとても幸せに思っています。今私は、お金や物を求め続けることは、感覚を失い飼い馴らされること、と思います。私の夢は変わりました。もう雑誌で見るような家は必要ではなく、私の貴重な人生の時間を「物」を得るために働くことに費やしたくはありません。友人たちや家族との絆の中で生きるため、私は働きます。そして時々は自分を甘やかし、土産を求めてではなく智恵を求めての旅行をしたいと思っています。
>>アネミーケ・ニーボルフ
© 2009 Trankiel
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