Trankiel  Groningen - Japan
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造形芸術家 
イヴォンヌ・ストラウス

「不思議で美しい国 日本」
 
 ニューボルダにある元「Samen op Weg 教会」の中の彼女のアトリエに入って、展示されている作品にまず心を動かされました。イヴォンヌ・ストラウスは心の奥深くにあるものからこれらを創作しているのだろう、と感じました。遠く過ぎ去った昔、日常生活の大部分が偏在する神々、英雄たち、聖人たちによって定められていた時代への無意識の渇望から、と言うのが相応しいかもしれません。
 しかし、こんな結論めいたことを言うのは、後にしましょう。表現されている世界は、神話や伝説で私たちが知っているものからの想像なのでしょうか、それとも、それ以上のものなのでしょうか? 初めて訪れた彼女のアトリエにいる間中、この問いが頭を離れなかったのですが、はっきりとした答は得られませんでした。
 この答は、イヴォンヌ・ストラウス自身のサイトに行くことで、もう少しはっきりとしてきます。 ヤーナ・ローゼによって書かれた紹介文には、その作品は過去を指示しているにもかかわらず「時を知らない、夢のような、静まりかえった永遠への『境界の印』」と見ることが出来る、と書かれています。
 ヤーナ・ローゼ:「ストラウスは、様々な、草臥れた、過去の出来事の使われなくなった断片や残骸をつなぎ合わせて、それらの古い物語を互いに編み、新しい物語、新しい神話を創ります。」
 
 更にこの情熱的な芸術家に惹かれ、その人と作品をもう少し深く知りたいと思います。彼女について書かれたものを読むだけでなく、彼女と個人的に知り合うようになります。
 イヴォンヌ・ストラウスは、行動でだけでなく、精神的にも旅人です。旅行は好んで北へ、大好きなオークニー諸島やヘブリディーズ諸島(共にスコットランド)へ出かけます。そこには、彼女にインスピレーションを吹き込む荒涼や寂寥が未だ残っています。例えば、彼女の「Soft piled centuries」という作品には、シェイマス・ヒーニー(1995年にノーベル文学賞を受賞した北アイルランド出身の詩人・作家)の詩から、泥炭地の長い形成史についての頌歌が引用されています。それはフローニンゲンの泥炭地を思い浮かばせます。又、その造形作品の中に「その道はとても難しく、とても広く、とても遠い」という言葉と出会います。これは主の御公現祝日の歌から取られたものですが、東方の三賢人のことは何も想起させません。昔の馬具、鞍、切出された泥炭が組み合わせられて静かな作品を形成しています。人々が泥炭地で働き続けなければならなかった、当時の苦難を思い出させるもの。
 風景、詩、古い民話や神話と並んで、彼女が収集した音楽も又、イヴォンヌ・ストラウス自身にインスピレーションを与えます。
 
 
 彼女のアトリエを最初に訪問したその日、司祭がミサで着る上着やキモノから着想を得た、飾りをつけた鎧のように見える作品、一連の「戦いの装束」にとても惹かれます。実に素晴らしい手作りの紙の上に、瀝青が塗られています。他にも、敷き毛布に粘板岩を取り付けたものや、ケルトの図案と馬の毛で装飾した祭祀の装束、などがあります。
 作品の中にはアマゾーンの装束もあります。戦闘的な女たち、だから彼女にとても合っている...  その理由で選んだのですか?その答は短く、予想外のものでした。「女性らしい何かがあるから。」
 最後にもちろん、キモノへの関心について聞きたいと思っています。衣服だけに限られた興味なのでしょうか、それとも日本の文化に対して幅広い関心があるのでしょうか?もしかすると、芸術様式に対して関心があるのかもしれません。
 再び予想外の答。「私は近々日本に行きます。」私たちはコーヒーを飲みながら日本やその文化について話します。それから、この直感的な造形作家、新しい創作のためいつもかつて存在していた又そのように見えていたものを捜し求めている彼女に、暇乞いします。
 
 それからしばらく経って...
 
 イヴォンヌは日本から帰り、その体験記を私たちに送ってくれました。そのままここに載せることの同意を得ましたので、以下にその体験記を掲載します。
 
 
 
私の日本旅行
 
最初の出会い
 
 日本の人たちと、仕事関係では何度か一緒に働いたことはあったのですが、これまで日本に行こうと考えたことはありませんでした。
 私のインスピレーションの源は北欧だったので、ほとんどがそこへの旅行でした。
 日本の寺院と庭園を巡るこの旅行が提供された時、それを決めるのは難しくはありませんでした。それは、他の世界に入り他の風俗・習慣を見るという、素敵な気分を与えてくれました。とても美しい国、とても親切な人たち、というのが、私の第一印象でした。
 
 大阪関西空港は、1994年に長さ1.7kmの世界最大の飛行場として、大阪湾に造成された島の上にオープンしています。到着後、殺風景なホールで整然と並び待つ通関手続きに関しては、東欧のような感じを受けました。
 
 翌日京都へ。794年に中国の都を手本として建てられ、かつては天皇が住み1868年まで日本の首都であった旧都へ、向かいました。そこにある金閣寺や銀閣寺は最も良く知られた歴史的な建物です。
 
 京都駅は、その延長が全体で一つの百貨店になっています。エスカレーターで最上階まで行くと、そこから町の広々とした眺めを楽しむことができます。特に夜景が素晴らしい。
 百貨店の洋服売り場は、すべて西洋志向のように感じました。日本のファッションデザイナーはどこにいるのでしょうか? 高田賢三、三宅一生、山本寛斎のような有名な人たちは西欧に行ってしまったのでしょうか? 
 この駅の中でちょっと残念だったのは、パンを手に入れることが出来なかったこと。朝昼晩の御汁やお寿司も美味しいのですが、バター付きのブラウンパンも又良いものです。
 
 京都の北西部に、1994年にユネスコ世界文化遺産に登録された、14世紀からの華麗な庭園をもつ天竜寺があります。
 日本の典型的な禅の庭園は、空間・石・植木の組合せで構成されています。それは清閑で平静な雰囲気をかもし出しています。
 
 西芳寺では、まず本堂に案内され、そこで読経を聞き、写経をします。その後、苔の庭園を拝観することができます。お寺での写経はとても特別なもので、正座して墨を傍らに筆を手にする、とても心の落ち着くものです。
 
 京都の東寺の境内では、月に一度、市が開かれます。たくさんの美しい寺院や庭園を鑑賞した後でしたので、この市はちょっとした息抜きにもなりました。熱心に見ていると、人々がとても親切に、英語の単語で助けてくれようとします。中古の着物を買う様子は、とても可笑しかったに違いありません。
 
 金沢の西海岸への旅も、価値あるものでした。その日の終わりに見た沈む太陽、岩壁のもみの木、水の上を飛ぶ鴨。もしこれらを絵に描くなら、キッチュと呼ばれるかもしれません。 
 
 日本の文化は西欧の文化ととても違っています。人々はとても礼儀正しく「ノー」とはなかなか言いません。郵便局を探していた時は、厄介なことになりました。皆親切に教えてくれるのですが、結局私はそこには行けませんでした。
 日本では、よく頷かれ、お辞儀をされます。人と(身体を)触れるということは習慣になく、人前で鼻をかむこともタブーです。音を立てて麺を平らげ啜るのは良いのですが...
 
 日本語は私たちには理解できず、数え切れないほどの文字で書き表されるのですが、それらは見てとても素晴らしいものです。漢字、ひらがな、カタカナの三種類の文字が組み合わされています。カタカナは英語などの外来語を書くときに使われます。又伝統的な日本語は縦書きで、右上から左下へ読まれます。
 
 日本は不思議な美しい国です。又日本に行きたいと思っていますが、今度はぜいたくなホテルにではなく、旅館やお寺などに泊まろうと考えています。日本の田舎ももっとよく見たいと思っています。
 
 そして... 又写経もしたいと思っています。
 
                            イヴォンヌ・ストラウス
 
 
日本の写真

イヴォンヌ・ストラウス
 
 
 
 
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