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「ユーモアは
   

   人生に属すもの」

 彼の歌のいくつかは、とてもコミカル。しかし又、あなたはとても生真面目な歌手と対面することでしょう。彼は聴衆を笑わせると同時に、繊細な詞で人を感動させるアーティストです。
 シンガーソングライター、Erwin de Vries(エルヴィン・デ・フリース)は、彼自身のバンドと一緒に、一つの場所で異なるショーが演じられているようなプログラムをもたらします。主にフローニンゲン語の作品なのですが、加えてその幅広いレパートリーにはオランダ語の曲も入っています。バラードからロックまで。しかし、それぞれの歌詞がエルヴィン自身の作詞であることは、はっきりと分かります。
 最初のヒットは、エルヴィンが「De Heleboel(デ・ヘーレブール)」というバンドのメンバーであった時、90年代にやって来ました。彼はそのバンドと一緒に2枚のCDを発表し、それはRTVノードの番組でよく聞かれただけでなく、全国的な関心をも集めました。
 2001年、ラジオ1の「ラジオ・ツール・ド・フランス」という番組の中で、そのバンドはツアー・アーティストと宣言されました。2003年5月、それはゴールデン・イアリングの前番組でした!
 その大きな成功は、RTVノードの1年のリスト「すべての50のゴールド」で第2位となったすばらしい歌「De Polder(デ・ポルダー)」によるものです。その歌は今もよくラジオで放送され、毎年リストの上位にのぼっています。2000年から昨年(2006年)まで、第2位に5度、3位に2度なっています。
 デ・ヘーレブールを終えた後、彼はソロの道に進みます。これは2003年、驚きのCD「Wie (ヴィー)」を生み、昨年それに「Aigenhaimer(アイヘンハイマー)」が続きました。その中には最近のヒット「Maffiosa(マフィオサ)」が入っていて、この曲は2006年の「すべての50のゴールド」で、「デ・ポルダー」のすぐ後、第4位になっています。
エルヴィンは彼のバンドと一緒に公演するだけでなく、大きな楽団の伴奏でも歌います。彼は最近「ノード・ネーデルランス・オーケスト」と一緒に北部の劇場を巡りました。


 彼が応じてくれたインタビューからも、彼が情熱に駆られたアーティストであることが明らかです。自分が書いた詞の中に、自分自身に近く、居続けたいと思っている人。私達が生きている世界について、自身の見方を観衆と共有したいと思っている人。エルヴィンは自身のサイトで、読者に目くばせし、それから皮肉っぽく語ります。彼は真剣にそうしています。自叙伝風で、そして.......コミカル。何故なら、以下のインタビューで彼が話すように、「ユーモアは人生に属している」からです。




インタビュー



フローニンゲンの人。どこで生まれ育ったのですか?
サぺメーアで生まれ、そこで育ちました。そこに17歳まで住み、それからミドヴォルダやザウトブルクのような村に住みました。


あなたのご両親はどんなお仕事をされていたのですか?
母は家庭をケアする仕事をしており、父は大工でした。


あなた自身に近い家族の仕事は、あなたの作詞活動のインスピレ-ションの源になっているのでしょうか?
すべてが、詞を書くためのインスピレーション源です。以前もそうでしたが、今も毎日体験していることです。何らかの方法で蓄えられたものが、ずっとずっと後になってから、詞を書いている時に再び現れてきます。かつて蓄積したことと結びついたインスピレーションによって、とても美しく効果的な詞を作ることが出来ます。ある日は、その他の日よりもより良い詞が書ける、ということがあります。


いつから歌っているのですか、又最初の公演はいつ、どこで、ですか?
最初の舞台はサペミーアの小学校でした。そこで私達はミュージカルからプレイバックショーまで上演しました。私は変わった創作で、毎年率先して参加していました。
当時、アンドレ・ファン・ダウンは、私の偉大なお手本の一人でした。


フルニングス(フローニンゲン語/方言)のジャンルを選んだのは、意識的にですか?
そうであれば、その理由を手短に話してくれますか?
私の両親は、互いにフルニングスで話していました。しかし、フルニングスでの作詞は、ローイエ・リーヌスやペィ・ダーレマーを聞いてからです。彼らに出来ることは自分にも出来る、と思いました。それで15歳ぐらいの時に、歌を作り始めました。それが習慣、趣味になり、今日に至っています。
多くの歌を作りました。決して「音響の運搬屋」ではありませんでした。フルニングスは過小評価されている方言(言語)だと思うので、主としてこれで書きました。多くのフローニンゲンの人達自身が、その言葉の価値に気付いていませんし、よく「ただ普通にしていなさい。それだけで既に十分おかしなことをしているのだから。」と言い、何も語ろうとはしません。しかし私は、言葉には文化的な価値があり、人々にとってとても大切なものであると考えています。特に、コンタクトしコミュニケーションする時に。歌を作ることは、そのとても素敵な変種だと思っています。



あなた自身がよく家で聴いている好きなジャンルは?
クラシックからハードロックまで、様々な種類の音楽を聴いています。聴かないのは、テクノとダンス。私にとって、音楽そのものが起点です。多くのバンドやアーティスト達が周辺のことに忙しく、音楽を美しく演奏することを時々忘れています。良い詞を書いている人達と同様、良い演奏をしている人達が好きです。名前を挙げなければならないなら、ニック・ケイブ、ランディ・ニューマン、ルーフス・ウェインライト、トム・ウェイツ、レイモント・ファン・ヘット・フルーネヴァウト、ヘルベルト・グローネーマイヤー、バウデヴァイン・デ・フロート.....
同じように、ショパンやバッハの音楽も楽しんでいます。それらもよく私の気分に合います。
ラムスタインは又面白い.....
私は、自分自身の中から創っている人達を尊敬しています。真実味..... それはとても難しいのですが。



フルニングスにはいくつかの種類があります。東フローニンゲンでは、例えばホーヘラントとは違った言葉が話されます。あなたの作品では、どの種の言葉を使っているのですか?
私はたいてい、オルダムトで使われている言葉から出発します。この地域の言葉に最も惹かれているのですが、歌詞としてよりよいと思われる場合は、ごちゃまぜにもします。それから、フェーンコロニー(泥炭地帯の集落)の言葉の影響があります。
フルニングスのオルダムトで使われている言葉の、粗野でよりダイレクトなところが、好きです。音楽がとてもたくましく響き、私の声に合っていると思います。私自身はそう思っています。



最初の大ヒットは「デ・ポルダー」、その中でプロヴィンスのこの場所への愛をあなたは歌います。歌詞の中には確かに工業の進展に対するプロテストがあると思われるのですが、意識して選んだものなのでしょうか、それとも、あなたのフローニンゲンの性格から生まれたものなのでしょうか。フローニンゲンの人は、何でもそのままの状態、自分が良く知っていて好ましい状態にしておこうとするのでしょうか?
私の最初の曲は「Winschoterdaip(ヴィンスホータードイプ)」でした。その曲もRTVノードでよくかけられました。「デ・ポルダー」はだいぶ後になってからのもので、もっと良く知られるようになりました。多くの人が詞と音楽の中に自身を見い出したからだと思います。
私は特にポルダーの美しさ、そこにある静けさを、詞にして歌います。そして、私はその静けさや広大さが好きです。それは、忙しい生活の中で、私が探し求めているものです。人が殺到したり工場がやってくることに伴う喧騒によって乱されてしまう、静けさ。詞の中のプロテストの意味は、そこにあります。私のフローニンゲンの性格は、その意味で、何も関係ありません。私は以前も今も保守的ではありません。



私達が最近行った、あなたのアピンハダムでの公演で、あなたが、よりロックの方に新しいスタイルを探しているような印象を受けたのですが、どうなのでしょうか?
いいえ、その印象は当たっていません。その公演では、その雰囲気に最も合ったナンバーを選びました。そこでは、多くのソロや、更に多くのロックンロールの雰囲気のものを歌いました。
原則として、あらゆるスタイルに関心を持っています。



もう少しロックのことを。最近読んだ新聞記事の中で、フランク・ザッパが「ユーモアは音楽に属している?」と自問していました。あなたに率直に答えていただきたい質問です。ユーモアを重要な要素だと思いますか?
ユーモアは人生に属しています。私の考えでは、それなしではいられません。ユーモアと悲しみは、とても近いものです。生きることが、そうです。私の音楽の中でも、これを聞くでしょう。ある日々はすばらしく、ある日々はひどいものです。


今、あなたの歌、maffiosa(マフィオサ)がヒットしています。-「俺の女に手を出すな…...」ユーモアが力強いロックのビートに包まれています。アピンハダムでの公演中、観客が大きな声で一緒に歌っているのを見、聞きました。そのユーモアはあなたのファンによっても高く評価されています。あなたはそれを計算しているのでしょうか?
いいえ、計算はしていません。私の出発点はいつも、歌詞の中の物語です。このマフィオサの場合は、すぐに殴り合いになることで知られている人達のことを扱っています。彼等は昔からそう見られてきました。私はそれを使い、その例として、きれいな女をめぐっての喧嘩を題材にしました。一度聞けば覚えられ、すぐに歌える歌詞、心を捉える核になる言葉が生まれました。
ヒットしたのは全くの幸運です。


あなたはオランダ語でも作詞しています。これで全国的に知られるようになる、という考えで書いているのでしょうか? より多くのオランダ語の作品が期待できるのでしょうか?
全国的に知られるようになりたいという考えは全くありません。そのようなことにかまけたことはありません。私は歌から、その時に得たインスピレーションから出発します。時々、アイデアを得、それがオランダ語の方に良く合っていると思うことがあります。私はいつもそのように作詞してきましたし、これからもそうしていきたいと思っています。多分オランダ語の曲がもっと出来るでしょうし、舞台でもそのいくつかを歌うでしょう。


フルニングスのジャンルが、例えばリンブルフ語(ロウエン・ヘーゼ)、アハターフークス語(ノールマール)、フリースラント語(デ・カスト)..... などに遅れをとっていることをどう考えますか?
音楽産業は奇妙に出来ています。それは多くの事柄に関係しています。特に、これらの産業が全国的プロダクトをどのように考えているかということに。そして..... それはお金を稼ぐことに基づいています。おそらく彼等はフルニングスでは稼げないと見ているのでしょう。しかし、これは私の間違った見方かもしれません。
それから、これらの音楽産業は、国外、特にアメリカやイギリスの方に向かっています。良いもの全てがあるバルバラ(最高神オーディンの殿堂)が存在するかのように。オランダの音楽産業は自国の音楽文化を維持することをあまり考えていません。そこから、市場で見い出せるオランダの作品が少なく、それらのバンドアーティスト達の著作権侵害が多く見られる、という事態が生じています。


スタイルに戻って。バラードからロックまで、ユーモアからプロテストまで。アーティストとしてのあなた自身をどう定義しますか? 歌うボードビリアン、プロテストするロッカー..... あなたは意識的に、ある特定の集団を対象にしているのでしょうか?
それとも、まだ模索中なのでしょうか?
私自身は、シンガー・ソングライターであると思っています。小さな部屋に閉じこもっていたくない作詞家。私はそれを生きることと見なしています。その全ての主題で。最も大切な出発点は、私自身が身近に感じるもの。そしてそれが私にとって真実であることです。生きることの全ての側面、です。


あなたの同僚、ヴィア・ブーゼは、「オプ・ホープ・ファン・ゼーヘン」の舞台で、クニールの役を演じます。あなた自身とても表現力に富んでおられると思うのですが、歌と並んで演じたいとは思いませんか?例えば、フローニンゲンのソープ、「ボーフェン・ヴォッター」でのゲスト出演とかは?
演じたいと思うのですが、時間が足りません。それに、演じることが簡単に考えられすぎているように思います。誰もがそのままで出来るものではありません。バンドで演奏しているからといって、演技が出来るとは限りません。反対にしっぺ返しされます。皆を一まとめにしたくはありませんが、質の良いものがいつも出来るとは限りません。
そのためには、よく訓練されていなければなりません。私自身も、ボーフェン・ヴォッターのオーディションを受けた時に、それを経験しました。必要な指導でうまく出来るようになるとは思うのですが、それはどんな役を演じなければならないのかによります。


あなたは音楽クラブ コーニンギン・ヴィルヘルミナと一緒の公演もしました。大きな楽団と一緒の公演をどう思っていますか?
多くの人々と一緒に音楽を作るのは、とてもすばらしいことです。ヴィルヘルミナやノード・ネーデルランス・オーケストと一緒の公演は、いつも楽しみです。


あなた自身のバンドは、あなたにとってどれほど大切なのでしょうか?それなしで、ステージに立つことが出来ますか?
全バンドなしで舞台に立てます。これも又いつかもう一度したいと思っています。劇場で、です。しかし、他の人達と一緒に行うのも、とてもすてきです。多くのエネルギーを与えてくれますし、他のことを盛りだくさんに入れられるようにしてくれます。


「全バンドなしで」というのは、どういう意味なのでしょうか?
例えば、私のキーボード奏者、ブルーノだけと一緒の公演です。小さなホールでの公演の時、私はそのようにしています。もちろん、私自身のギター伴奏で行うことも出来ます。
これを今、リビングルーム・コンサートの形で行っています。この方法で、劇場全体(45分を2度)を魅了することも出来るでしょう。これは、私がいつかやってみたいと思っていることです。
フルタイムのアーティストですか、それともまだ他の仕事をしているのですか?
私はパートタイムのアーティストで、デルフザイルにあるレンティス(前のGGZ:精神健康ケア)で、救急看護士として働いています。精神医学の仕事です。
その仕事を通して、私はこのプロヴィンスをとても良く知るようになりました。スタットカナール(州の南部の町)からアウトハウゼン(州の北部の町)まで。ヴィンスホーテン、フェーンダム、フローニンゲン市.....



年にどのくらいの公演をしているのですか?国境を越えても?東フリースラント(ドイツの北海沿岸地方)?
実際のところ、年にどのくらい公演をしているのか知らないのですが、月に平均3~4回です。まだ東フリースラントで行ったことはありませんが、とてもすてきだと思います。
日本でもまだ一度も歌ったことがありません。いつかそこで公演するのは、とても素晴らしいことだと思っています。



フランスで、今ツール・ド・フランスの競技が行われています。もう何年か前になりますが、ラジオ1のツアー・アーティストという番組に、あなたのバンド、デ・ヘレブールと一緒に出演されていました。当時あなた(あなた達)にとってどのような意味があったのでしょうか、又新しい構成で、あなたのフルニングス‐オランダ語の曲で、もう一度そのようなことをしたいと思っているのでしょうか?
はい、そうしたいと思っています。それは当時、評価されたということを意味していました。一つの質問に一つの答、良い仕事をしているという気持ちを得ました。ヒルフェルスム(放送局が集まっているオランダ中部の都市)でトップだった人達が私達の音楽のファンでした。もしかすると、全国的なそのような評価が、いつかもう一度得られるかもしれません。フローニンゲンでは今もう、十分評価してもらっています。


我がフローニンゲンのアーティスト達がプロヴィンスのプロモートに貢献できると思いますか?派遣団を構成し、例えば日本へ行って公演する、ということはすてきだと思いますか?
それは、どのようなフローニンゲンのアーティスト達がプロヴィンスをプロモートするのか、ということにかかっていると思います。私自身、日本での公演はとても素晴らしいことだと思っています。私はそれに、自薦したいと思っています。
どのような方法でフローニンゲンを日本でプロモートするのかについて、前もってよく考えておかなければならないと思います。私達フローニンゲンの人々のことを、日本の人々にどのように見てほしいのか、ということを。



最後に、フローニンゲン州を10語で表現してくださいと尋ねたら、あなたはどう答えるのでしょうか?
ポルダー、強情な、静けさと空間、美しい、家、緑、居心地のよい、心地よい市、農業の、写真向きの。


左:2005年解放記念日の写真

その他の写真はエルヴィン自身のコレクションから使わせていただきました。



エルヴィンの歌を聴きたい方は www.erwindevries.nl へどうぞ。
ページの左下から2番目の Muziek をクリックし、
アルバムの中から曲を選んで聴いてください。





Erwin de Vries 「Maffiosa(マフィオサ)」




                  >>エルヴィンへのインタヴュー(1)

(エルヴィンの「ポルダー」が聴けます。)







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