Trankiel  Groningen - Japan
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馬への情熱



朝早く、乗馬学校ビースムではもう数名が活動中です。2人の少女が箒を上手く扱って構内の掃除をし、建物の中では、若い女性が手馴れた様子で馬の一頭にホースで水をかけて洗っています。屋内の馬場では、ここの主、ハーム・ピート・プリンスが一人の女性に乗馬の授業中です。
 「妻が上にいるよ。」と、指示を与える合間に大きな声で私達に伝えます。「少しの間、彼女があなた達と話します。」
 私達は階段を上って二階へ。食堂には、その掃除をほとんど終えた、シャウキェ・プリンスがいます。
 「ほんの少し待ってくださいね。すぐ済みますから。コーヒーは如何ですか?」
 私達はコーヒーを美味しくいただきながら周辺を見ていて、すぐにトロフィーがいっぱい詰まった戸棚に気付きます。乗馬クラブの会員が入賞したものだろう、と私達は考えます。しかし、その後の会話で、それが間違いだったことが分かります。これらの賞すべては、プリンスの家族が得たものでした。
 「家にはもっともっとたくさんあります...」


 まず、シャウキェ・プリンスは私達のサイト「トランキール」のことを尋ね、それから「乗馬学校や馬、その他のこと何でも、私も夫も喜んで質問にお答えします。」と言ってくれます。それが、忘れ難いその会話の始まりでした。数語を交わして知り合うとすぐ、彼等はとてもオープンで気持ちの良い話し方で、このインタビューを大変快く興味深いものにしてくれました。




 乗馬学校の歴史は、当地の馬の愛好家たちが青少年を乗馬スポーツに馴染ませたいという考えを抱いた1967年に遡ります。どのように始めるのか? どこに相応しい場所が見つけられるのか? それは、自治体の協力のおかげで、かなり早く解決されます。美しいビースムのオセンヴェヒ(牛道)沿いにある、その年の5月初めから使われなくなった古い農家が見つかりました。彼等は当地の企業の援助で、ほとんど全てを無料で使うことが出来ました。まもなく自分達で戸外の馬場を作り、古い農家の家畜小屋は新しい機能に合わされました。
 子供達が大変興味をを持ったので、ポニークラブを創設することが間もなく決められます。デルフザイル乗馬スポーツクラブの先駆けです。子供達に次いで、大人も乗馬の練習に関心を持つようになりました。1年間それは成長し続け、当時の委員会は満場一致で専門の指導員に来てもらうことを決めました。これが本当に必要だったことは、次のことから明らかです。既に1969年、その生まれて間もない乗馬スポーツクラブは王立の称号を得、新しい乗馬学校建設の礎が築かれました。ようやく2年が経とうとする間に、その善意のアイデアは、もう親切なアマチュア達が余暇に経営するだけでは、どんなにベストを尽くしても無理な状態にまで成長していました。

 乗馬学校のことを聞く前に、まず6月2日に行われた馬車競技について知りたいと思います。これは、アウトヴィアダのスポーツ公園のグランドで開催され、マラソンは近くにある素晴らしい自然保護地区を使います。その地区は昨年のフローニンゲンの散策・全国ファイナルで、州で最もすてきな散歩が出来る所と評され、「Onder klokslag van Oetwier(ウートヴィールの鳴鐘の下)」という名前が再び注目を浴びました。リッセに僅差で負けただけの誉れの第2位は1万ユーロの賞金付きでした。この総額で、ビースムとホルヴィアダの間約6kmの散歩道の一部として、新しい小道が作られました。これは古い教会の小道の光栄を復活させるもので、散歩の途中いろいろと楽しめます。そこには典型的なフローニンゲンの「moar(モア:湿地帯であった時に溝だった部分が自然の水路となったもの)」が流れ、広々とした土地に「dobben(ドベン:氷河期の後、自然に出来た池)」や農場があります。もちろん、何世紀も経ったヴィアダや教会があり、果樹園も、又本当にコウモリの住んでいるバンカーもあります。
 その地区は、隣接したビースム乗馬学校の人達に愛され、6月2日に行われたようなマラソン競技にもとても相応しい場所です。
「どんな種類の馬が参加したのですか?」
「KWPN-(オランダ温血種)、フリージアン、ハーフリンガー、フィョルデン、シェトランダー、ウェルシュポニー。」


 乗馬学校の中には乗馬スポーツクラブが今も存在しているのですが、その情報豊富なクラブマガジン「ポンデロサ・ポスト(ポンデロサは西部劇ドラマ「ボナンザ」の舞台となった所)」に、馬車競技についてこう書かれています。総数46頭、細かく分けると、二頭立てや四頭立ての、又馬を前後に長くつないだ馬車が、スタートにつきます。それらは北部3州と、オーフェルエイセル、ノールトホラントからやって来ています。
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 アウトヴィアダのスポーツ公園内で行われたドレッサーやドライビングの競技も素敵だったのですが、障害物が設けられた壮観なマラソン競技は更に素晴らしいものでした。この競技では速さと動きの組み合わせの極限が問われ、御者が馬を操るやり方や、車の左右にぶら下がるようにして平衡を保つグルームの意気込みに、私達は心を奪われます。
 それらは全部無料で公開されていて、その区域で、歩いたり自転車に乗ったり、犬を散歩させている人々もいます。馬達の邪魔にはならないのだろうか、と少し心配していました。しかし、そうしているうちにレスンを終えテーブルについていたハルム・ピート・プリンスが、それは全く心配ないことを話してくれます。
 「障害物の所でだけ問題があるのですが、そこには熟練した人達を配置していますから大丈夫です。」


 最初からとてもなごやかな雰囲気だったのですが、プリンス氏の娘とその夫、子供が食堂に入ってきた時、それはいっそうくつろいだものとなります。彼等は休暇旅行から帰ってきたばかりで、ちょっと挨拶に寄ったのだそうです。私達の目の前に暖かく和やかな家族団欒が広がります。
 「よろしかったら、私は家に帰らせていただきます。夫がもっとたくさん話せると思いますから。」そう言って、シャウキェは去りました。


 どのようにしてプリンス氏がこの世界に入ったのか、尋ねます。彼はヴィルデルファンクの両親の農場での彼の青年時代から話します。その農場での彼の未来がないことを知った時、そこで慣れ親しんでいた馬の世界を選んだのは自然な成り行きでした。私達は夢中になって続きを聞きます。オランダの厩舎で仕事をした後、国境を越え、馬の国として知られたドイツで仕事をしたこと。そこでその合間にエルメロで指導員の資格を得たこと。私達の向かいに座っているプリンス氏が、良く訓練され充分な経験のある専門家であることが明らかになるのですが、特に目立って感じられたのは、彼自身とても馬が好きだということです。馬を愛する男が、馬の仕事に生きています。


 彼の話は更に続きます。当時まだ若い家族を連れドイツからオランダに帰り、仕事を探しました。ドイツでは彼を引きとめようとしたけれど、家族のためにはオランダに住む方が良いという彼の考えは変わりませんでした。指導員を探していたデルフザイルの乗馬スポーツクラブが、ある関係を通じて彼に連絡してきたこと。そして彼等が1980年にこの港町に落ち着いたこと。
 14年余り後に、乗馬学校をクラブから買い取る機会が訪れ、彼はそのオーナーとして、自分の考えを一つ一つ現実のものにし始めました。彼がとてもうまく事を運んだことは、オランダ乗馬スポーツセンター連合(FNRS)と繋がり、三ツ星と安全証明書を得たことから明らかです。


 そのクラブの会員は、6歳から55歳まで、171名です。会員達は、乗馬学校の7頭の練習用馬と10頭のポニーに乗ることが出来、又自分の馬に乗ることも出来ます。馬の総数は、70頭に達します。
 私達が乗馬はエリートのスポーツだと思っていることを話すと、プリンス氏は笑い「おそらく、かつては。しかし、もう長いこと、そうではありません。FNRSの会費は、年に一人当たり12.50ユーロです。そして、あなたが家族会員として、あるいは18歳以上の個人会員として、デルフザイル乗馬スポーツクラブの会員であるための年会費はたったの14ユーロです。」
 私達:「しかし、馬がなければ、レスンも...」
 手渡された料金表から、予想以上に簡単なことが分かります。10枚つづりのレスン・チケットは、レスンの種類によって、65ユーロから95ユーロの間で料金が異なります。チケットなしでも、馬を預けていなくても、月50ユーロで屋内外の乗馬場を毎日使うことが出来ます。ただし、授業で使っていない時に限ります。そして、すべてがとても清潔で安全な環境です、とプリンス氏は強調します。2年に一度、安全馬術協会が通知なしの訪問で、安全証明書を保持するための広範な調査を行います。「もっとも」と彼は付け加えます。「私自身、散らかっているのが好きではありませんから。良く手入れされ、きちんとしていなければ合格しません。」


 ビースム乗馬学校は、ハルム・ピートを長とする家族企業です。彼の妻シャウキェは、居心地の良い食堂の経営と共に事務も担当しています。息子達、ハルムとディルクは、お父さんと一緒に日々乗馬レスンの世話をしています。ディルクは乗馬指導員としてレスンも担当しており、又免許のある蹄鉄工でもあり、ほとんどの馬やポニーのひづめの世話の責任者です。
 三男のピーターは、干し草やわらの購入で忙しく、時間のある時は乗馬学校の雑務を手伝っています。
 家族でないのは、乗馬学校の仲間で蹄鉄工でもあるタイスですが、この固く結ばれたティームの中ではそれは全く目に付きません。豊富な知識と熱意で結ばれたティーム。優良で健全な企業に成長したことは、全く不思議ではありません。
 家族でないのは、乗馬学校の仲間で蹄鉄工でもあるタイスですが、この固く結ばれたティームの中ではそれは全く目に付きません。豊富な知識と熱意で結ばれたティーム。優良で健全な企業に成長したことは、全く不思議ではありません。


 「馬を借りることは出来るのですか?」
 それは出来ないということがはっきりします。安全が最優先で、誰かを一目見ただけで乗馬経験が豊かかどうかを見分けることはできない、というのがその理由です。来年から、安全証明書の所有が約300のすべてのFNRSの乗馬学校に義務付けられます。
 私達はもう少し、これについて聞いておきたいと思います。例えば、日本から乗馬愛好家のグループがやって来て、風に吹かれて馬に乗りたいと思ったなら... 彼等はここで読むことの出来る証明書は持っていないでしょう。そうしたら?
 プリンス氏:「もちろん、皆さんを心から歓迎します。しかし、レスンを受けることは出来ますが、周辺を自由に乗馬することは許可できません。もう一度言いますが、リスクが大きすぎます。」


 馬の飼育や販売もしているのでしょうか?
 「飼育はしていませんが、時々、馬の売買の仲介はしています。私達の鑑定を使ってもらっています。
 まだ多くのことをしていますよ。ドレッサージュ、飛び越し、馬車競技と並んで、乗馬学校の訓練生が資格を取れるように、相互のFNRS競技を開催しています。又、子供のパーティも私達の所に予約できます。ポニーに乗ることがメインなのですが、もちろんフライドポテトとアプルムース、それにソフトドリンクが付きます。
 馬やポニーを鞍や馬車に慣らすこともやっていますし、馬を収容させなくても私達の所の2人の免許のある蹄鉄工が利用出来ます。
 そしてもちろん、レンタル馬車もあります。たくさんの新婚のカップルがこれを利用し、喜んでもらっています。自分で言うのも何ですが、人生の最も美しい日に、二人の正装した御者の乗った婚礼の馬車で運ばれることより素敵なことがあるでしょうか? ないですよね?


 私達の所には又とても特別な乗り物があります。ユニークな馬車鉄道、いわゆる「ブーレファール・トラム」で、1900年にハーグの蒸気式路面電車の終点とスヘフェニンゲンの大通りの間の運行を始めた乗り物です。その昔の栄光を、ここで蘇らせています。私達は今年も、ハルデンベルフで開かれたオランダ伝統具協会のオランダ選手権大会に、この馬車で参加しました。とてもユニークな、典型的なオランダのものです! 本当に一度は見てください。それらの古い馬車は皆とても素晴らしく、当時の衣装を着けた人達がそれに乗っています。写真を撮るのに最適だと思います。」




 私達の話は尽きなかったのですが、そうする時間がありません。この楽しい訪問の終わりに、プリンス氏が構内を案内してくれます。とても居心地の良い食堂から、二つあるうちの一番目の屋内馬場へと歩きます。そこでは普通の乗馬のレスンと共に、いわゆるドレッサージュ、飛び越し、馬を走らせるレスンも行っています。私達は、十分なスペースの仕切りの中で、馬達が宿泊し快適に過ごしている厩舎を通ります。サンルームさえあります。プリンス氏は私達のために、鞍や馬具の置き場のドアを開けてくれます。ここも他の場所同様、きちんと整頓されています。
 彼ら自身の馬の厩舎、屋外馬場も見学し、最後に乗馬学校自慢の馬車を見せてもらいます。「ブーレファール・トラム」!
 牧場はどうなっているのでしょうか、ご自身の所有ですか?
 プリンス氏:「私達は約13ヘクタールを使っていますが、そのうちの3.5ヘクタールが自分達の所有です。その残り、自転車道の向こう側は、自治体から賃貸しています。」


 いとまごいの時間です。少々心残りなさよならで、もっと話していたい気持ちです。素晴らしい馬達について、プリンス家の人々の熱意について、乗馬学校と関連した獣医の仕事について、...について、もっとたくさんのことについて!


 例を挙げれば、次のようなとても素敵なテーマ:フローニンゲンの馬。彼等からもらった「ポンデロサ・ポスト」に、「スポットライトの中で」という見出しで、ほとんど失くなりそうになっていた種、フローニンガーについての、興味深い記事が載っています。それは幸運にも、プリンス家の人達のような馬の大好きな人々によって保つことが出来ました。馬への情熱!






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>>ビースム乗馬学校(オランダ語)








写真提供:ファミリー・H.P.プリンス ©


「現存する唯一のトラム馬車」


 デルフザイルの乗馬学校ビースムのプリンス一家は、1995年お客を運ぶため一台の馬車を購入しました。「後でこの馬車がとても特別なものであることが分かりました。」とシャウキェは話します。「それがデン・ハーグとスヘフェニンゲンの間を走っていた古いブーレファール・トラムであることははっきりしています。」
 その馬車は1800年の終りにフランスのマルセイユで作られました。「様々なタイプのものが作られましたが、これはオランダにまだ残っている唯一のものです。」
 その馬車は、女王の祝日にアペルドールンで二頭の馬と一緒に輝きます。
 ブーレファール・トラムは結婚式や記念日のために借りることが出来、一家が所有しているその他のオープン馬車やクーペ型馬車も同様です。
 4月30日馬車にはコスチュームを身につけた9人が座ります。シャウキェ、彼女の夫ハーム-ピーター、二人の息子たちと5人の友人たちです。
 「ちょうど昔そうであったように。そのことは、すべての馬車や自動車に当てはまります。それは印象的な光景になるでしょう。」


(ダハブラット・ファン・ヘット・ノーデン-4月21日- イナ・リチェマ記者の記事の一部より)







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