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アリィさんと芳江さんの物語
[2] 戦争の影響と友情の勝利
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前回は、文通の初めの頃、芳江さんにはアリィさんの手書きのアルファベットに慣れるのが大変だった ... というところまででした。
当時を振り返り芳江さんは話します。「とにかく、彼女の字に慣れるまで大変でした。今でもまだ時々読み辛いことがありますが、彼女の気持ちや様子が伝わってきて、楽しくもあります。当初、私の英語力不足を理解し承諾して下さることをお願いしましたところ、とても快く受け入れ、分かり易い英語で、あまり長い文章は避けて書くようにして下さいました。いろいろと工夫さえして下さっているように思え、とても有難く思っています。」
「では、どのような話題を彼女たちはやりとりしたのでしょうか。」
アリィさんによると、家族や仕事、友人や休暇のことなど、あらゆることが話題になっています。休暇の話題は、ほとんど彼女だけに限られていました。というのも、芳江さんの方に長い休暇はなかったようでしたから。アリィさんは、その年月、お互いが携わっていることに深く入っていったことはほとんどなかった、と付け加えます。外国語を使うこともその理由でした。時々、政治や社会的な主題が二人の興味をひくこともありました。
芳江さんもこれに同意しています。話題は、主として福岡でのイベントや家族を含んだ近況についてでした。それから彼女は付け加えます。日本人の置かれた立場について悩んだ時期があり、娘さんが彼女に代わってアリィさんにお便りをしてくれたこともあったこと。答えることに困ったことが、確かにあったこと。そして、正しく表現しないことで誤解されることは絶対あってはならないから、と説明します。
英語が障害になっていたことも、芳江さんの話から分かります。
「良い答えをと思えば思うほど言葉が分からず、その度に辞書を引くことの繰り返しでした。これが一番辛いことで、それは今も変わりません。」 |
休暇を楽しむアリィさん |
<写真上> アリィさん
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<写真右>芳江さん(向かって左)と同僚 |
ここまで読まれた皆さんは、些細なことごとをお喋りする友達というイメージを持たれたかもしれませんが、これはたちまち芳江さんの話で訂正されます。彼女が両国の違いについて話す時、それがうわべだけの話でなかったことが明らかです。又彼女は、多くのことを学べたアリィさんにとても感謝しています。
彼女はまず衣装を取りあげ、その違いを面白く思ったことを話します。中国や韓国の影響を受けたと思われる日本と、ヨーロッパで伝承されてきたであろうと思われる衣装の違いです。「それにしても、日本の下駄とオランダの木靴は、何か通じるようで嬉しいです。」
オランダは酪農の国だから、牧畜がオランダ経済で大きな役割を持ち、肉やチーズが多く消費されていると思っていたのが、漁業も盛んなことを読んで驚いたこと。オランダの飲食についても彼女は話します。「クリスマスには色々なお菓子やお酒など送ってくださいました。美味しく頂きましたけれど、香料や色味は日本の方が淡白なようですね。」
芳江さんは暮らし方の違いにも言及します。まずオランダと日本の建築について、その大きな相違点を話します。日本では、湿気が多く、地震も多いことが考慮されていること。そのために独特の構造が使われていること。最近では欧風家屋も増えているけれど、オランダのようには広くないこと。家屋の大きさも生活様式の違いであること。
彼女は言います。「家では靴を脱ぐこと、お風呂の使い方、食器類の違いなど、比べると本当に沢山あります。これからもアリィさんとの文通での話題に取り入れていきます。『みんな違ってみんな良い』という言葉をよく聞きます。きっとその通りだと思います。」
終わりに、アリィさんから贈ってもらった、その内容が珍しく驚きでもあったオランダを紹介した本のことを話します。
「学校と教会が密接に関わり合い、しかもそれを選ぶことが出来るなど、外国の真似の得意な日本人にもこればかりは無理だし、仕方のないことだし、両者に長所が沢山あるであろうと思いました。
只一つ羨ましいと思えることで、仕事と休みに対する考え方の違いがあります。日本では長期休暇を取って旅行するなど、おそらく無理でしょう。原因は、職場に迷惑をかけるということ、長時間職場を離れることで自分の居場所がなくなる等、その他にも色々な理由がありそうです。
事実、私の娘がアリィさんを訪ねるという計画を立て、休職を申し出たところ、代わりがいないとのことで実現しませんでした。当時、娘は眼科医のところで検査士をしていましたが、大半の日本人がそうではないでしょうか。そういうことを考えると、眼鏡をかけてカメラを持ち、時計を見ながら観光地をせかせか走っているのは日本人、と言われるのも分かるような気がします。」
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リビングでの二人、アリィさんとヴィムさん |
そして、二人の結婚式 |
「芳江さんはオープンに、事実を挙げて自分の言葉で批評も交えます。そのような友人が日本にいるのは、素晴らしいことに違いありません。
アリィさん、彼女は最初からそのように、あなたに対してオープンだったのですか?」
アリィさんは、その問いには否定的に答えます。良く理解する事が簡単ではなかったと言い、その例を二つ挙げます。
「何年か前に、困難な状況がありました。ヨシエからの手紙が途絶え、2年ほど手紙が一度も届きませんでした。それ以前にも長い間手紙が届かなかったことが何度かあったのですが、後で手紙を書けなかった理由が分かりました。病気、子供たちに関わること、両親が亡くなったこと。しかし全く何の連絡もなかった訳ではありません。その間も彼女は様々な美しいプレゼントを送ってくれていましたから。
その時は突然、彼女の長女のシズカから手紙が届きました。彼女のお母さんが最近、第二次世界大戦での日本の行いについて考え悩んでいることが書かれていました。その手紙は、ヨシエが私とそのことを話すことが困難であることを、はっきりさせていました。しかし、それは私にとっても同じことでした。 私はもう二度と彼女への手紙に、戦争のことを書きませんでした。それは大変痛みに触れる話題であるだけでなく、私たちの関係とは関わりのないことでした。私は今でもいつもそう思っています!
シズカの手紙で、私は様々なことを思い考え、何度も自分に問いかけました。彼女を傷つけたり不快に思わせたりすることなく、正直に答えられるだろうか、と。長い、とても長い間、その答えを考えました。自分の考えを手紙に書くのが一番良いだろうと思いました。どの戦争でもとてもひどいことが起こり、人が自分自身でなくなること。時に人は許す事が出来なければならないこと。それ以上のことは私には考えられませんでした。」
「もう一つ問題となり、又心を動かされたことは、それよりずっと以前のことです。1968年のことだったと思います。私はヨシエから短い手紙を受け取りました。その中には、もう手紙を書くことが出来ないと書かれていました。その理由は結婚でした。彼女自身も文通を止めたくないと思っていることが分かりました。また何となく私への恥ずかしさも感じました。結婚が手紙を書かない理由になっていることに、とても驚きました。私はすぐに、自分はそれを問題とは思わないこと、文通を続けたいと思っていることを書いて送りました。すると安心した返事が届きました。婚礼写真と一緒に!」
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新婚の若い二人、芳江さんと傳さん |
「もう何十年もの間、実際に会ったことがなかったのはどうしてでしょう?」
芳江さんはそれについて、はっきり答えます。彼女が抱いていた望みは、家庭や経済的な事情で実現されませんでした。両親は、女性は料理や裁縫を身につけてお嫁に行くのが当たり前という考えで、彼女は親の言う通りのコースを進み結婚しました。それは20代のはじめでしたが、気がつくと、家庭に気掛かりなことを残して外泊を何日もすることは出来なくなっていました。
しかし彼女の夫がリタイアし、子供達が3人とも独立したら、いつの日か自由にゆっくりと好きなことをしたいと夢みてきました。いつか近い将来、オランダを訪れることは、家族全員が賛成してくれています。
彼女たちの友情がこれほど長く続いたのはアリィさんの優しさと誠実さで、常に彼女を尊敬しています、と彼女は話し、家族の皆さんも素晴らしい方ばかりと付け加えます。又彼女自身の家族については「私たちは言葉や風習の違う外国の方という感覚は、全くといっていい程持っておりません。子供達は皆成人しておりますが、アリィさんのことは『オランダのおばちゃん』と呼んでいます。」と話します。
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<写真右> 長男 雅樹君(3才)と |
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二女 瑞穂ちゃんのお宮参り |
長女 しづかちゃん(2才)と |
では、アリィさんは? 彼女も、ほとんど同じ答えです。最初は日本への旅行のためのお金はありませんでした。その後子供たちが生まれ、そのような長旅は不可能になりました。今、レーウワーデンで受け取った最初の手紙から45年後に、とうとうそれが実現します。彼女は夫のヴィム(Wim)さんと一緒に10月、芳江さんに会うため日本に向かいます。
彼女は嬉しいのと同時に不安もあります。芳江さんやその家族と会うことをとても喜んでいる一方で、やはり緊張しています。すべてがどのようになるのでしょうか?
彼女たちの友情が、これまで手紙の上だけだったことで途絶えなかったのは、お互いの信頼のおかげです。彼女は、友情が何年も続き、より貴重なものになったのは、このとてもユニークな方法のおかげだと考えています。この中で迷った時もあった、と彼女は話します。例えば福岡から手紙を長い間受け取らなかった時、もう終わったと思ったこともありました。しかし、時が経ち、再び手紙が届き、友情が少しも変わっていないことが分かります。それはいつも変わらない友情でした。
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© 2010 Trankiel
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