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アリィさんと芳江さんの物語

[3] 幸運をもたらした神社のお守り
 
 
 二人の話から、そこに大きな文化の違いがあることに気づきます。アリィさんは何でもあけすけに話すことに全く問題がありません。一方、芳江さんは少々控えめです。何でも話すことは、日本の女性にとってオランダの女性ほど簡単ではないようです。あるいは、フリースラントの女性が、よりその傾向が強いのでしょうか? 特に、プライベートな生活について顕著です。友人たち、結婚、子供たち、孫たちのこと ...
 
 芳江さんは日本とオランダについて、習慣や考え方の違いを話します。アリィさんにも驚いたことや理解できなかったことも沢山あっただろうし、いつもよく理解されたとは限らない、と。例えば出産。
 アリィさんに女の子が生まれた時、芳江さんはその喜びやお祝いすることは同じと思いました。しかし、名前の付け方などは、とても違っていました。日本では名前の由来の説明も大切です。
 喜びや祝う気持ちに違いがないことを、次のように話します。
 「アリィさんに娘さんのアンリケさんが生まれた時は、私の母も元気でした。私は、そのニュースが書かれたオランダからの手紙を、母に読んで聞かせました。明治生まれの母は、アルファベットどころか、ひらがなくらいしか読み書きできませんでしたが、その報せをとても喜び、アンリケさんへのお誕生プレゼントに浴衣を縫ってくれました。」
 お互いの長い間の文通について、アリィさんとの友情で良い思い出が沢山作れたこと、そしてそれらは彼女の宝物、と話します。又、自分がもっと筆まめだったら ... と悔やんでもいます。
アンリケちゃん
<写真右>
芳江さんのお母さんに縫ってもらったゆかたを着ている幼いアンリケちゃん。
これもプレゼントしてもらった羽子板を手に持って遊んでいます。
 
 
<写真左>
お母さん(アリィさん)に抱かれた、生まれたばかりのアンリケちゃんの妹、ニンケちゃん。

 アリィさんは、お互いの初恋のことも話します。彼女の交際が終わったことを手紙に書いた時、すぐ後で芳江さんがお守りを送ってくれたこと。芳江さんが、この‘幸運のお守り’を特別な神社で受けてくれさえしたこと。それは‘御利益’があり、そのすぐ後に彼女はヴィムさんと出会ったこと。そして、そのお守りは今なお、いつも部屋に飾られています。
 芳江さんの子供たちの誕生について、アリィさんはそれほど多くは知りません。すぐには連絡がなく、後から聞きました。芳江さんの最初の子供が死産だったこと、その同じ夜に彼女のお父さんが亡くなられたこと。そのため、かなり長い間福岡から手紙が届きませんでした。日本の文化では、悲しみや困難なことを話すことは、いけないことなのだろうか?他の人に負担をかけるからだろうか? アリィさんは今も、そのような問いを抱いています。
 二人に孫が生まれた時も、また特別でした。「私たちはほぼ同時に、初めておばあさんになりました。たった16日の違いでした。それらの日々、手紙はそんなに頻繁には受け取っていません。3人の孫達については、ほとんど、あるいは全く聞いていませんでした。
 彼女からの手紙で、初めて3人の孫がいることを知りました。本当に驚きました。彼女がこれまでどうして孫たちのことを書かなかったのか、私には理解できません。そしてこれに付け加えると、彼女はいつも私の孫たちにプレゼントを送ってくれていたのです。このようなことは、今も理解出来ません。」
 
 「この特別な友情は、ある意味で彼女たちを変化させたのでしょうか? お互いの文化から、何かを取り入れているのでしょうか?」
 
 アリィさんは、言います。実際のところ、芳江さんとの友情によって‘彼女の存在’が変化したかどうか言うことはできないし、もしそれが彼女の人生にやって来てなかったらどうであったかは分からない、と。
 「私は、少々東洋に影響された嗜好を持つ典型的な西洋人女性、と言えるかもしれません。私は東洋のメンタリティーにとても関心があり、もっとよく知りたいと思っています。しかしより広く考えると、経験の一つ一つが自分自身を形成しているのですから、そのことはヨシエとの友情にも言えます。彼女によって私の日本の文化への関心や知識が深まりました。」
 
 「家族の方たちも、そのような関心を持っているのでしょうか?」
 
「私の家族は、それをいつも素敵で興味あることと思っています。まず子供達、両親、姉、義父母、義姉たち、皆がタンテ(おば)ヨシエのことを知っています。今私たちは福岡への旅行を計画していていますが、彼らは皆、私たちと同じように感じてくれています。」
 

アリィさん・ヴィムさん と その家族

 オランダの文化から取り入れたこととかありますかという問いを、芳江さんにも尋ねました。特にこれといってないけれど彼女自身が少し変わったように思う、アリィさんとの友情が誇りというか信念というか心の強さになったと彼女は答えます。
 そして、ずっと考え続け、答えられなかった、第二次世界大戦のことも話します。日本人は戦争で犯した罪を指摘され、償い続けて来る中、卑屈とまで思われる部分も感じること。それに続けて戦後の復興期にも触れます。その頃の人々の気持ちに大切なことが沢山感じられ、それらは今忘れられかけている、と彼女は言います。そしてもう一度、アリィさんのことに戻ります。
 「オランダに関する本を読み、メディア等の情報に触れ、なんて美しい、優しい、心の豊かな潤いに満ちた国だろうと感じます。文通にアリィさんのお国を選んで正解でした。」
 
 「芳江さんの家族の皆さんは、どう思っているのでしょうか?」
 
 「家族はごく自然に、丁度親類からの手紙が届くくらいに親しみをもって接してくれます。残念なのは、長女以外は英語が苦手で、深く関わってこようとは致しませんが、好感を抱いていることは確かです。長女は私達の文通を通して、オランダという国の素晴らしさに、又、アリィさんとの関わりには少なからず興味を持っています。以前、私に代わってアリィさんへお便りをしたほどで、アリィさんが来日なさった折には、横浜からお会いしに来ると申しております。主人も今は現役として勤めに出ておりますが、アリィさんとご主人が来られる折には自由な時間もできます。私自身その訪問がとても楽しみで、私たちのところに滞在されている間、案内できることを嬉しく思っております。様々な場所にお連れし、いろいろ新しい経験をしていただこうと考えております。」
 

芳江さん・傳さん と その家族

 インタビューも終わりに近づきましたが、あといくつか質問があります。例えば、趣味について。そして、大事なのは、計画中の近々の旅行のこと。まずアリィさんから。
 「私たちは初め、切手を交換しました。それは今も続いています。とても美しいシリーズを見れば、いつも彼女に送り、ヨシエも同じようにしています。
 オランダらしい贈り物を探すのが、ある種私のホビーになっているのですが、あまり成功しているとは言えません。よく‘Made in China’など付けられていたりするので。
 しかし最大のホビーは、私たちがお互いの国の考えや生活に抱いている関心です。お互いの生き方を尊重することで、普通の‘オランダ人の’友情以上の、貴重なものとなりました。そこには時々ファンタジーが少々加わっているだろうことも、付け加えておきます。もう長い間の文通なのですが、まだいつも少し謎のようなことがあります。そこには確かに言葉の壁が存在しています。おそらく彼女も又、私のことにファンタジーが加わっているのでしょう。」
 それから、芳江さんと一緒に出かけたいと思っていることも話します。
「夫と一緒に旅行した時、おやこれは一度ヨシエに見せなければ、と思ったりすることがあります。
 お互いの文化から何かを取り入れたかという質問に戻ると、もしかすると日本食? 時々自分でスシを用意し、それはいつも客人たちに好評です。しかし、料理の本に載っているような、とても美しいお皿は使っていません。小さな日本料理の本も買い、日本料理のレシピに出会えば大切に保存しています。
 又、私たちの家中に日本の飾り物があることも話しておきたいと思います。今、たまたま浴室にだけ置かれていません。プレゼントの入った箱が福岡から届くと、その中にはいろいろと異なったものが入っています。実際、食べ物から飾り物まであらゆるものです。いつも素敵な、又は美味しい、とても素晴らしいものです。簡単な紹介ですか? 例えば、陶磁器の菓子皿、お茶のセット、小さな人形、CD、小さなランプ、小さな凧、小箱、線香立て、扇、靴下、等々。それから、湯上りに着る浴衣一式と下駄。浴衣は寝室に掛けられ、いつでも使えるようにしてあります。
 
これまでに芳江さんから送られたプレゼントのいくつか。
 
 又、私はもう20年以上、盆栽を手がけています。もっとも古い20年を経た小さな栗の木が、今もあります。その他はかなり変わってしまったと、言わなければなりません。休暇中に、水分不足で枯れてしまうことがあります。
 長い間家を空けると言えば、私たちは何週間かの日本旅行を計画しています。長い間抱いてきた望みが、ついに実現されようとしています。このために、絵を描いてお金を貯めてきました。日本へのこの旅行は、本当に様々な感情を呼び起こします。とても親しい気持ちです。私はこの年月、ただ夢に描いてきただけでなく、日本の社会についての知識も蓄えてきました。もちろん、ヨシエと会うのはとても緊張しますが、信頼しています。何年も会っていない親しい家族を訪れるような気持ちです。その一方で、少し不安にもなり始めています。全てが期待と違うかもしれないとも思ってしまうからです。二つの気持ちが同時に存在し、とにかく興奮しています。どうなるのか、もう待ちきれない気持ちです。できるだけしっかり準備します。旅行ガイドを調べて素敵なアイデアを得、また日本語も少し話せるようにしたいと思っています。世界の反対側でも、準備をされていることでしょう。」
 
 「今一度質問に戻ります。芳江さん、何か趣味でされていることは?」
 
 「他人様に自慢できるような趣味は何ひとつありません。只、何を見ても興味を持ち、手を出してみたくなるのですが、アリィさんのように素敵な作品はありません。若い頃は生け花を習い、いつの日かお花屋さんを経営したいと夢見ていました。職場の上司に誘われて茶道を少し、姉の手伝いで洋裁を。4、5年前まではソフトボールやバレーボールをしていました。
 最近では、押し花をアレンジした行燈というか電気スタンドのようなものに、寝るのも忘れて没頭しました。」
 


芳江さん と
バレーボールチーム
 
 「あなたのアピンハダムの友人は、家で日本食を食べているそうですが、小島家でもオランダ料理を食べるのでしょうか?」
 
 「オランダ料理という特別の料理は、福岡では多分作られていないと思います。ゴーダチーズを時々買います。朝食にライ麦パンのサンドイッチや、ヨーグルト、コーヒー、紅茶、オランダ産のパプリカは、とても人気があります。チーズやハム等も時々使います。残念ながら、私自身糖尿病と肝炎のため食事療法が欠かせず、他の家庭のように頻繁ではないのですが、皆好んで食べてくれます。」
 
 「アリィさんとヴィムさんのお家では、ほとんどの部屋に日本からのものが飾られているそうです。小嶋家でのオランダの彩りは?」
 
 「アリィさんより、お人形や焼き物を送っていただいて、大切に飾っています。中でも私は陶磁器が大好きですので、デルフト焼きはとても気に入っています。残念ながら福岡ではあまりというより、殆ど手に入りません。長崎県のテーマパーク、ハウステンボスを訪れた折には購入するのですが、お土産品程度の物ばかりです。」


アリィさんが福岡に送った
プレゼントのいくつか
 
 
 この物語を書いている今、アリィさんとヴィムさんは日本に滞在中です。初めての出会いを喜び、一緒に旅行しています。その旅行中に送ってくれた絵葉書に書かれていることが、多くを語っています。彼らの忘れ難い周南市訪問についても、又多くが話されることでしょう。そこで用意されていた歓迎は、実際、期待を上回るものでしたから。この素晴らしい訪問の後、もしかすると、そんなに時間を経ずに答礼訪問が行われるかもしれません。そうなれば、芳江さんが、まだあまり知らないと話していたオランダと知り合うことになります。彼女はもちろん、オランダが北海に面し海抜0mより低い土地が多いということ、堤防で締め切って出来たアイセル湖、張り巡らされた運河、ボートで生活する人達のこと、盛んな酪農、風車、チューリップ、木靴 ... 驚くほど大きな大人用の木靴があることも知っています。
 又、フローニンゲンにある多くの小さな古い教会は、アリィさんの手作りカレンダーで知りました。
 彼女が実際にやって来てこれらをすべて見るのは、まだこれから準備されなければなりません。はっきりしているのは、彼女がアピンハダムの友人たちによって心から歓迎されるだろうということです。
 この友情がとても心からの温かなものであることは、アリィさんが結んだ言葉からも明らかです。「この友情がなかったら、私の人生のある部分が欠けていたことでしょう。」
 
 
独身だった二人がおばあちゃんに
 
 


彼女たちは結婚し子供を得ました。
 
 

子供たちは大きくなり、結婚し、元気な孫たちが生まれます。
 
 
 
 



子供たちは日本の文化、オランダの文化の中で成長しますが、彼らにはまだそんなに違いはありません。
 
孫たちも保護された環境で育ち、冒険の年頃へと成長します。自分たちで探検し、知識を集めます。
 
 
彼らの「おばあちゃん」も同じことを願っていました。
異なった世界の発見。
その結果の長く続いた得難い友情。
 
 
 
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