その歌詞は又確かに、フローニンゲンの人たちの自尊心を鼓舞します。それはもっともなことで、そこには誇れるものがたくさんあります。しかし彼らはよく、その州や文化について控えめな態度をとります。人々が時に、いわゆる「豊かな西部」を憧れるのは、間違っています。都会での成功やモダンな若者たち、「それ」が起こる場所が仰ぎ見られます。しかし「それ」は今日の誤った思い込みであり、昨日の移り気です。その踏み車で、多くの人が踏みつけられ、時には回復不能です。
フローニンゲンの人は、より用心深く、又確かにより質素です。まだ使えるものは、必要な修繕をして再び使います。この実際的な態度によって、「普通」の事々の宝物が保存されています。そこには全く感傷はありません。使えるものは使う、使えなくなるまで。そして北の地で、そのことは長く続くでしょう。もっと多くのものがもちろん存在しています。何世紀も昔からのボルフが残る風景。いくつかの村の中心には、ほとんど1000年の時を経ている教会。簡素で、華麗さが抑制された教会。フローニンゲンは、軽薄さから最も程遠い州です。(ここではそれが大笑いされるのは、いかんともしがたいことです。) |
エリック・ファン・オメン |