陶磁器-フローニンゲン美術館
フジ・アート
協会
セバスチアーン・ハイケンス
三好百合子
エリック・
ファン・オメン
柳本明子
イヴォンヌ・
ストラウス
田崎裕子
森万里子
鈴木 清
ヘリット・
ヴァッシング
ナイキ・
デモチーム
関西クラリネット四重奏団 と カプリシオ・クラリネット・オーケストラ
帆船日本丸
男声合唱団
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有田とフローニンゲン
2009年4月4日から2010年4月11日まで、フローニンゲル美術館で「Puur of Grillig(純粋な あるいは 気まぐれな)」という展覧会が開催されます。
Strck パビリオンで、東洋の陶磁器の愛好家は、フローニンゲンのコレクション‐それはオランダでとても大きなコレクションの一つです‐の一部を鑑賞することができます。
美術館のサイトには、その純粋な形と気まぐれな形の対照の遊びで展示されていると、書かれています。あるいは、最古のかなり基礎的な形と、後に西洋の需要によって考えられたそれとは対照的な形、とも言えます。美術館は後者の例として、チューリップの花瓶を挙げています。
このフローニンゲル美術館に属する9000個の陶磁器の中には、もう400年間国際的な町である日本の有田からのものも、たくさんあります。その町は主にその陶磁器生産のお陰で世界的なステータスを得、その陶磁器は世界中で見られ、かなりの数の人目を引くコレクションを見ることが出来ます。
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フジ・アート協会
ラジオ・ノードの人気の日曜朝番組「ノードマネン(北の人たち)」でフジ・アート協会の名前を初めて聞いた時から、「デ・グループ」に集まる3世代、4世代にますます興味を抱くようになりました。「De
Onhankelijke Realisten(独立した写実主義者たち)」とみなされ、自身をまた「Noordelijk Realisume(北のリアリズム)」として提示しています。
私たちの探索の旅は、まずその中の一人と出会うことから始まりました。ツルーディ・クラーマー。彼女は、美しいワッデンの島、スヒールモニクオーフ島での作家と詩人のフェスティバル「Schrijvers
om de Noord(北の作家たち)」で知られています。これは、同じフジ・アート協会出身のヘル・シクスと一緒に中心となり、2年毎に開催しているフェスティバルです。
続いて、国境の町バット・ニュウヴェスハンスへ、そこにある現代のフィギュアティブ芸術のギャラリー、ヴィークⅩⅩを訪ねます。そのギャラリーは、フジ・アート協会が「36
Gezichten(36景)」という名前の展覧会で、初めて芸術愛好家たちの前に自身を現した場所です。
彼らは日本とどのように関わっているのでしょうか? 北斎とでしょうか?
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ヴァウト・ミュラーも
フジ・アート協会の一人
彼の作品(左):
「Observaties(観察)」
油絵/パネル(1999)
個人所蔵 |
セバスチアーン・ハイケンス
バット・ニュウヴェスハンスにあるギャラリー・ヴィークⅩⅩを訪問した折、新進気鋭の画家の作品に出合いました。セバスチアーン・ハイケンス。フジ・アート協会の揺籃に関わったマタイス・ローリングから学んだ一人です。ギャラリーのオーナーから、セバスチアーンが日本に、特にその芸術に夢中になっているということを聞き、即座に会ってみたいと思いました。そしてしばらく経ってから、その才能豊かな
Stadjer(スタッチャー:フローニンゲン市の人) のアトリエ兼住居を訪れ、彼の歌舞伎シリーズについて、芸術一般について、好きなものや ...
日本について、セバスチアーンと話します。
セバスチアーン:「日本にとても魅せられています。そこに長期間滞在して、その土地や人々、芸術や文化をよく知りたいと思っています。」
私たちはその実現を心から願っています。というより、彼がその夢をかなえるであろうことを確信しています。
三好百合子
デルフザイルの市長、三好百合子の銅版画を贈呈される。
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セース・ヴァール氏は2007年、市長として日本の姉妹都市周南市を訪れました。彼に深い感銘を与えた訪問でした。お別れのレセプションが、三好百合子作の2点の素晴らしい銅版画によって「日本」で彩られたことも、不思議ではありません。それは自治体の役員により贈呈され、きっとヴァール氏宅で特別な場所に飾られることでしょう。
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エリック・ファン・オメン
2000年、日蘭交流400周年を記念して様々な行事が催されました。その一つが「12xおらんだ」の、芸術による文化交流プロジェクトでした。それ以来、1609年に日本で初めてVOCオランダ商館が設置された平戸で、年に一度続けて実施されています。「12xおらんだ」のサイトには「オランダと日本の間のインターアクションとコミュニケーションを通して、一般的な文化交流に対する理解を深めてゆくことを試みます。」と書かれています。
このプロジェクトの最初の参加者の中に、自然の画家で世界旅行家のエリック・ファン・オメンがいます。彼は1983年にフローニンゲンの美術アカデミー・ミネルバを卒業、今もフローニンゲンに住んでいます。「北方リアリズム」の伝統の中で具象的な作品で名を成し、国内外で数多くの展覧会を開きました。 |
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平戸に2ヶ月間滞在する間に、彼は日本の書画の技法に出会い、心を動かされました。そして、地方画家の立石さんに教えてほしいと頼み込みました。
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>>エリック・ファン・オメン(オランダ語)
柳本明子
「フローニンゲンはアムステルダムよりもっと近く感じられます。アムステルダムは国際的すぎるのかもしれません。」これは、柳本明子さんがフローニンゲン市のホールンセ湖畔にあるとても興味深い建築のウォール・ハウスにアーティストとしてレジデンスしていた時の言葉です。
彼女は埼玉に生まれ、1998年から2002年まで多摩美術大学で学びます。大学卒業後、場所をオランダに変えてアムステルダムのヘリット・リーフェルト・アカデミーの学生となり、2年後に卒業します。彼女がそこでの卒論に選んだテーマが「ドメスティック・アート」でした。彼女自身が自分のアートのために考え出した名前です。それは家庭での生活に基づいたものですが、一般的な日常生活と同様、家や国についても考えさせられます。
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イヴォンヌ・ストラウス |
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「中古の着物を買う様子は、とても可笑しかったに違いありません。」と、造形作家イヴォンヌ・ストラウスは彼女の日本旅行の短いレポートに書きます。仕事では、日本の造形作家たちと一緒だったこともあり、着物が彼女の作品のテーマの一つにもなっているのですが、日本に行くのはこれが初めてでした。レポートの終わりに「また日本に行きたいと思っています。」と彼女は書いています。次回は日本の芸術家たちとも、もっと交わりたい、それが今回残念だったこと、と彼女は考えています。
東フローニンゲンのオープン・アトリエルート「Noorder7」の推進力の一人、イヴォンヌ・ストラウスはもう何度も国内外で自身の作品を展示しています。その数多くの展覧会の中から、昨年ベルギーのヘントで開かれた「第三回国際ペーパーサロン」のことをあげておきましょう。そこでは日本から芹野直子や池崎ヨシオの作品も展示されていました。
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>>東フローニンゲン・オープンアトリエルート、Noorder7(オランダ語)
>>第三回国際ペーパーサロン(オランダ語)
田崎裕子
東京出身のテンペラ画家田崎裕子さんは、2週間の滞在期間中、フローニンゲンの田舎を思う存分味わうためよく自転車で出かけます。
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今日は、古く中世に出来たヴィアダの村マルスムに行きます。そこには、その大部分が掘り起こされた残りのヴィアダの上に誇り高くたつロマネスク様式のマウリッツ教会があります。12世紀に建てられた州のとても古い煉瓦造りの教会の一つで、中世時代と特定される屋根瓦が目に入ります。
今朝田崎さんは、できるだけたくさんスケッチが出来るよう近道をします。その大部分が牧草地を横切って伸びるサイクリング道を通り、教会へ向かいます。そこはとても静かで、何も邪魔するものはありません。せいぜい教会近くの牧場から時折牛の鳴き声が聞こえるぐらいです。
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>>テンペラ画田崎裕子
森万里子 |
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2007年夏、森万里子の多くの作品がオランダで初めて、フローニンゲル美術館で展示されました。「Oneness」という名前のこの展覧会の呼び物は、疑いなく「Wave
UFO」でした。機械であると同時に造形作品である不思議なハイブリッドな物体。宇宙空間、時間、精神を旅行する様々な方法が統合されたものの表現。
90年代の終わり、彼女の人生における精神的な転換が話題に上りました。それは「Esteric Cosmos」のような作品や写真「クマノ」の中にはっきり見ることができます。彼女が神道や仏教のような日本の宗教にインスピレーションを得、又精神性を探し求める新しい西洋に動機づけられたものと考えられます。
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鈴木 清
「この日常の世界もエピローグのないサーカス」
( 鈴木 清 ) |
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フローニンゲンの「A(アー)-クヴァルティア」は、何十人もの芸術家が住みたくさんのギャラリーがある地区です。芸術・文化の愛好者にとっては、一度は訪れる価値があると言う以上のところです。スタット(フローニンゲン市)の雰囲気一般を楽しみたい人にも、この地区への訪問はなかなかのものです。ここで出会う取り合わせは、パリのカルチェラタンを思わせます。その有名な地区に目配せして、この街の地区会がワークグループを「カチェー」と言う名前で作るのに十分な理由でした。
A(アー)ケルクホフ12番地にノーデルリヒト・フォトギャラリーがあります。国際的な雑誌『フォト・ディストリクト・ニュース』によれば、世界のトップ5に数えられる「ノーデルリヒト・フォトフェスティバル」でよく知られているギャラリーです。このような評価が相応しいことは、3月28日の『フルーネ・アムステルダマー』に載ったフスターフ・ペークの記事からも明らかです。彼は日本の写真家、鈴木清の作品の写真展に関心を寄せ、次のように書きます。「...ノーデルリヒトは日本の写真家、鈴木清(1943-2000)の作品を概観する写真展『Soul
and Soul 1969-1999』を開催し、もしかするとそれによって今年最高の写真展を上陸させたのかもしれません。鈴木の作品はオブスキュアで、感動的で、優しくそして愛しい...」
しかしノーデルリヒトが、その短い生涯で、又その後もとても多くの人たちにインスピレーションを与えて、「写真家のための写真家」という名声を得ている鈴木に、初めて関心を向けたのではありません。既に1999年彼は、親密な写真世界の創造を求めたノーデルリヒト・フォトフェスティバル「ワンダーランド」に参加しています。
このことで彼は、森永純、伊藤時男と共にノーデルリヒトがフェスティバルに招いた最初の日本の写真家になりました。その後増山裕之、石内都がその光栄に浴しています。
そしてそれから今年4月に、その5名の中のただ一人として、ギャラリーで「Soul and Soul」という名前の個展が、詩人のマウリス・ブーラーと、二人のお嬢さん、ヒカリさんとユウさんを同伴した故鈴木清氏夫人の洋子さんによってオープンされました。その三人は、最終的にこのとても興味をそそる写真展になるまで、キュレーターの写真家マヒール・ボトマン氏と一緒に働いてきました。写真の展示と並んで、鈴木氏によってほとんど無類の方法で作られた写真集にも特別な注意が払われています。
それは、この影響力のある写真家の作品を概観する世界で最初の写真展です。
ヘリット・ヴァシング
数年前のダハブラット・ファン・ヘット・ノーデンに「日本の俳句とフローニンゲン語の類似」という見出しの記事が載りました。ヘリット・ヴァシング著『Met
de vouten in t wotter(足を水に濡らして)』という小説が「フローニンゲンの本協会文学賞」を受賞したことを取り上げたものでした。
その中で、著者は俳句作りについて話しています。
「ベニドルム(スペイン)近くのパルセント村に妻と住んでいた時、作り始めました。以前レーウワーデンのメノー派教会で牧師をしていた時、信徒の一人から俳句の本をもらいました。この日本の詩形は一つの挑戦でした。
再びオランダに戻り、最初はアメラントに後にアッセンに住み、再びフローニンゲン語と接するようになりました。私は日本の俳句とフローニンゲン語の間に類似を見ました。
力強い表現力のある、確かな簡潔さ... 」
最近その著者と奥様の家を訪ねる機会に恵まれ「フローニンゲンの作家 ヘリット・ヴァシング その俳句への愛」というページが出来ました。
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ナイキ・デモチーム
デルフザイルのナイキ・デモチームは、ドイツのボトロプで行われた2008年チアリーディング・ヨーロッパ選手権大会でヨーロッパタイトルを勝ち取りました。このチームは既に何度もタイトルを獲得しているのですが、この勝利により、2009年にアメリカのオーランドで開かれる世界選手権大会に自動的にシードされます。そこで、ボトロフでよりも更に良いものにした「Memoirs of a Geisha」の演技を披露したいと話しています。世界選手権大会で最高の演技が出来るように、更に集中したトレーニングが行われます。
このことについて、意気に燃えたフローニンゲンの乙女たちのことまで、リーダーのレニー・ヴァースドルプが語ります。「岩崎峰子の生涯の物語に心を打たれました。ですから選択はむずかしくはありませんでした。Memoirs of a Geishaに決まりました。」
チーム全体が今から興味津々なのは、世界選手権大会に出場する日本人たちの反応です。
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ヨーロッパタイトルを勝ち取った後で
写真:ナイキ・デモチーム
アーカイブより
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フローニンゲンのもの と 日本のソース
カプリシオ・クラリネット・オーケストラ
& 関西クラリネット四重奏団
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2009年3月27日金曜の夜、ジョン・デ・ベールが指揮するカプリシオ・クラリネット・オーケストラは、大阪(日本)からの岩井秀昭教授が指揮する関西クラリネット四重奏団と一緒に、サッペメアの見事に修復されたクーペル教会でダブルコンサートを開催しました。この特別なコンサートは、文化担当助役のコル・ドロスト氏の、その冒頭にクラリネットについての俳句を入れたスピーチで始められました。
関西クラリネット四重奏団は、クラシック、ジャズ、日本の歌と、とても変化に富んだプログラムを演奏しました。4人のミュージシャン-クラリネット2、バセットホルン、バスクラリネット-は大変高いレベルの技術で奏し、すべての関心がその演奏とその音楽に向けられました。カルテットはシューベルトのアベ・マリアを見事に抑制された静かな響きで奏でる一方、ベルギーの作曲家、パトリック・ヒケティックの「3つのラテンダンス」は、複雑なリズムを情熱的に掻き立てるように演奏しました。「通りゃんせ」「茶摘み」「朧月夜」「さくらさくら」のような神秘的なタイトルの日本の歌は、その演奏の中に美しい寛ぎの時をもたらしました。
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帆船日本丸男声合唱団
2003年7月、結成9年目の帆船日本丸男声合唱団(横浜)がフローニンゲンで海外初公演を挙行しました。
デルフザイルの大イベント、DelfSail(デルフセイル:帆船祭り)で、この合唱団は海の歌やシャンティを日本語と英語で歌い、押し寄せた多くの人々の心を捉えました。日本からの合唱団がオランダの古い子供の歌「モッスルマン(ムール貝採り)」を歌うと、人々は大喜びしました。
訪問客が90万人を超えたこのイベントへの参加の他にも、彼らはアウトハウゼンでも公演しました。ここでの舞台は港ではなく、メンケマボルフ(フローニンゲンの代表的なボルフの一つ)でした。
メデイアは合唱団のことを報じ、その名前は早々と人々の口に上ります。RTVノードの番組によって「モッスルマン」として知られるようになります。これは合唱団のための特別番組で、歌いながらオースターヴァイヴェルダーマールを舟で行くというものでした。それから、ラジオ・ノードの人気の朝番組にも、スタジオでのライブで登場しました。
そのような結びつきは、帆船日本丸男声合唱団が後にISSA(シャンティと海の歌の団体)の会員になったということからも分かります。これには、港町デルフザイルのISSA副会長、イヴァ・ファン・デル・ベークさんが少なからず関わっておられます。
又、この訪問の結果として、3年後に、エーデ・スタールの日本語訳「タームンタージール」が誕生します。この異例なニュースは再びメディアに登場します。ダッハブラット・ファン・ヘット・ノーデンは記事として大きく取り上げ、ラジオ・ノードはいくつかの番組の中で深い関心を示しました。
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© 2008 Trankiel
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